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自然の四方山話 9月

 9月の目次 
 時節よ スローで頼む〜
 閑話・雨に遊ぶ 
 台風9号と荒川 
 8日の荒川情景の便り
 キャノンで9号の痕跡を追う 
 キャノンS5 ISの使用感 

 秋が匂ってきた 
 あちッちち しつこいぞ 夏メ 
 キャノンS5 ISの使用感2
 再度三日月に挑戦 
 匂っていた秋よ いずこへ
 秋を見つけに自生地へ 
 07 足元の世界(12) 
 秋の彼岸入りに猛暑 
 昭和20年1月のある事件 
 07 足元の世界(13) 
 07 私の散歩道(10) 
 偶然の遭遇 (上) 
 偶然の遭遇(下) 
 猫社会の掟と母猫の愛情 

時節よ スローで頼む〜
07/09/01

私が持っている時間の貯金はわずかしかないというのに 月日さんはロケット並みの速さで剥がしてくれる したい放題 怠けたい放題 人間の根幹に関わる聖なる行為も本にするほどの人生であったから 負け惜しみではないよ もう十分だと達観している ではあっても 幸か不幸か 下手ながらも文明の利器であるパソコンをやり かつ ネットに載せて遊んでいる もう少し遊びたいなあ〜という気だけはある ああそれなのにそれなのに 7月だ 8月だ お盆だと騒いだのはついこの間 それがあっという間に9月に入ってしまった

9月1日といえば 防災の日だそうだ サクラソウ自生地に向かう手前のさくらそう橋で 濃緑制服を着たのが何人も立っていた その一人に止められた イベント会場に行かれるのですかと尋ねられた 秋ヶ瀬公園内の通行を制限しているらしい サクラソウ公園へは行かれます どうぞというので 自生地へ

驚いたね いくら防災の日でも事故車両が変な位置にある 自生地にも徒歩でこられた人々をバスに誘導する係員がいる あの事故車もイベントですかと尋ねたら 違うという 

自生地編
この時期に自生地に入るのは私と蝶の専門家の関口忠雄氏ぐらいかと思ったら 違っていた 久しぶりの記念撮影をさせていただいた

イベント会場

子供の森編
少雨の影響が今も続いている 8月29日の17ミリの雨ぐらいでは森の中の乾燥によるひび割れの解消にはならなかった 連日曇ってはいるが雨という雨は降っていない それでも オチバタケ属のアシグロが賑わってきた 
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閑話・雨に遊ぶ
07/09/05

台風9号が関東地方を直撃しそうな雰囲気ですね その前哨戦とも言うべきバケツをひっくり返したような雨が断続的に降っています 

心がけが悪いものですから明日私的なイベントで弱っております 人が集まるだろうか とね 

それはそれとして この憎きバケツをひっくり返したような雨をレンズを通して捉えられるかを実験してみました 気がついたのが 明るいうちの16時半 もう終わる頃かと慌てて 隣家のひさしを借用したものです 
ISO 3200 3m 120_ A F4.8 1/400

しのつく雨ですが 肉眼では太く筋状に見えても 早いシャッターですと小さな点なんですね スマートズームにすればよかったと悔やんだ そこで急遽ISO 400に戻してみた

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台風9号と荒川
07/09/07

夜半の台風では絵にならないし それに眠い なんて考えながら窓を見ると 埼京線武蔵浦和駅上りホームに電車がじっとしているように思えた 何時ごろからだろうかと漠然と考えていたら電車内には人影もない もしかすると東の風がものすごいものだから 横風を受けやすいので運行をやめたのかなと それなら絵になるとカメラをセットした
何を慌てたのかISO 3200で撮影したが しゃきっとしない ようやくISO 400での撮影に気付いた しかも スマートズームまで気付いた いけるではないか 粗忽者の私は時々落ち着きを失うのだ〜

それにしても ネットニュースが報じたのは翌朝だった 

荒川河川敷編
03時半に目が覚め 表を見やると雨風はそれほど強くない それたのかなとネットニュースを見ると小田原に上陸だと ややして町田市を通過中 秩父にあるとか騒いでいた それならば ほとんど台風の中心にあるのだから静かなはずだ

総雨量は400ミリを越すとか予報士たちが言っていた 気象庁秩父測候所のデータで合算すると6〜7日の夜半までに313ミリである 山間地では久しぶりの大雨だ 我がさいたま市の5〜7の総雨量は180,5_である 台風は無理でも 荒川河川敷にある県立秋ヶ瀬公園内は水浸しかなと 出かけた いずこも 公園内への出入りは不可であった 
普通の人たちではここまではたどりつけられない ここまでこられたが公園内を走り回るのは不可能であった 私がここまで入れたのはゴルフ場センター脇から 3段構えの左岸土手の2段目を利用したからであった
水浸し以外 風による被害なく せいぜい小枝が落ちている程度でした
道草好みの台風9号ですから 台風一過とはいかなかったが 素晴らしい夕焼けを土産に置いて行った

07/09/07 22:38 追記
川越の野原博さんさんから久しぶりのメールです

----- Original Message -----
From: 野原博
To: 青木実
Sent: Friday, September 07, 2007 6:57 PM
Subject: サクラソウを守れ (野原博)


今晩は青木さん。お元気だとおもいます。
川越在住の野原ひろしです。

台風が過ぎた今日(9月7日)、田島ヶ原に行こうと思い、治水橋にたどり着き、荒川の堤防に立ってみたら、ご覧のような有様でした。
そんなわけで、一時間程河川の水の流れを見て、あきらめて家路に着きました。

ご覧のような湖になってしまった荒川ですが、動植物の危惧がさけばれる昨今、無事であればと思いつつサクラソウが気になりますね。
では、また。さようなら。
私が取材した秋ヶ瀬公園とは様相が違いますね このような様子を目的に出かけたのですが 羽倉橋からの撮影を断念しています 気力が薄い

治水橋とはルート463にある羽倉橋から川上の一つ目の橋です 距離は約4キロでしょうか 洪水が今にも土手を越えそうです 何でこうも違うのでしょう

理由は簡単です 私が杞憂していた第3土手による弊害(詳しくはここをクリック)の一歩手前です 羽倉橋沿いに左岸から河川敷の中央に横堤を伸ばし ここから川下に向かって第3土手が作られていた 羽倉横堤で遮られた上に川幅が半分に狭められたために 秋ヶ瀬公園内とは水の量が違うからです 
この度は秩父地方の降雨量は313ミリだったが もしも 500_を超えたら間違いなく治水橋付近で土手を洪水が越えるでしょう 313ミリでこうですからね

野原博さんが心配していた
●動植物の危惧がさけばれる昨今、無事であればと思いつつサクラソウが気になりますね●
大丈夫 サクラソウにとっては チョー久しぶりの養分たっぷりの洪水の冠水ですからね 早い話が 自然の力で天然肥料が散布されたのです

遮られた洪水が流れ着いたのは↓のカットからあふれたものです

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8日の荒川情景の便り
07/09/08

蝶の専門家の関口忠雄氏から本日の秋ヶ瀬公園一帯の画像による便りがありました ご紹介します

送信者: "関口 忠雄"
宛先: "青木実" <sakuraso@jcom.home.ne.jp>
件名 : 秋が瀬公園の状況(青木様)
日時 : 2007年9月8日 18:23

昨日の台風の影響がどんなもんか気になって、サクラソウ自生地、秋が瀬、彩湖の順に見て来ました。当然、青木さんも今日も取材なさっていると思いますが、自転車で動くこちらの方が範囲が広いでしょうから、状況報告をしておきたいとメールいたします。

先ず、サクラソウ自生地ですが、中に入る通路には確かに水が一杯たまっていますが、駐車場は全く冠水していませんので、普通の雨と変わりないようです。

秋が瀬公園のメイン道路は一箇所だけ、少し水がたまっていましたが、行きに写した写真添付しますが、帰り(約1時間半)には大分減っていました。

子供の森は広い範囲で水没していますが、昨日の青木さんの写真と余り変わっていないかなという気がします。

ピクニックの森も中は相当荒れているかと思いましたが、クヌギの小枝(ドングリを付けて重くなった枝)が散乱している程度で、拍子抜けです。
それにしても、普段の土曜日でしたら、車で一杯の駐車場が、両ゲートが閉まって、車が全く無く、自転車の人が数人いるだけの、超・超静かな秋が瀬でした。

青木さんの昨日の記事の、第三土手を荒川本流の水は越えていないという事ですので荒川の治水上からは、大した大水ではなかった(少なくとも危機的状況では無かった)ということでしょうか。

武蔵野線のすぐ下流で、桜草水門を左に見た位置で、道路の色が変わっていますが昨日の最高水位を示していると思いますが、この水位でも、彩湖に流れ込むまでには1.5m程有りそうです。

以上、本日の状況報告です。本日の取材の補強に使って下さい。
では、また。
関口さん ご苦労様でした だいぶ水は引いたとはいえ武蔵野線のカットで見る限りたいした冠水ではなかったようですね 左に見える土手は第3土手です 川越の野原博さん提供の治水橋のカットとは様子が違いすぎますね 秋ヶ瀬公園内の冠水は さいたま市の総雨量が180ミリ強によるものでしょう 羽倉橋横堤からこの第3土手に遮られた水の行き場がなく 押し合いへしあいしているうちに 治水橋から上流で湖化したと考えます

したがいまして
大した大水ではなかった(少なくとも危機的状況では無かった)ということで間違いないでしょう

というのは 荒川流域で秋ヶ瀬公園付近が一番川幅が広い その半分を遊ばしておく考え方は やがて500ミリ前後の大雨ですと治水橋より上流で決壊または土手越えが起こると心配です

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キャノンで9号の痕跡を追う
07/09/11

商業写真にデジカメが通用することをソニーR1で知り フィルムからデジカメにシフトすることにした 対象機種は富士フィルムとキャノンであったが レンズの長さでキャノンPowerShot S5 ISを9日に購入 昨日まで操作の習熟に費やした 何かしかわかったようなので本日ロケーションに出かけた ポツポツ降る中でしたのでキャノンは色温度に対応できなかった キャノンの画面サイズはデジカメサイズですね これですとL判プリントでは四方がカットされてしまいます 撮影時の注意力が要求されます 詳しいことは後日に詳報します

ロケ地は 上尾運動公園プール脇森 秋ヶ瀬県立公園ピクニックの森と子供の森などです

R1は1mで撮影 キャノンは8mです キャノンの画像取り込み後のデータ取出しが不明ですのでデータなし 手ぶれ防止は弱いようです

上尾運動公園編
森は R1のデータでは 1/13  F4,5しかない暗さでした 無加工です

ただいま22:30 気象庁のアメダスで22:30に強力な雷雲が差し掛かる予報どおり ぴったり22:30に猛烈な雨と雷鳴です

ピクニックの森編
ピクニックの森を一周して 洪水の影響を受けない理由を証明するためにこの地に来た 途中で よたよたしている白い犬を発見 歩いているのは私だけですから白い犬はじっと私を悲しそうな目で見つめている(主観です) そして よたよたと私の後をついてくる 帰りに 立ち止まってじっと私を見る彼がいた しかし もう私の後を追う気力もない 捨てられてのか かわいそうに がんばれよと声掛けするしかなかった 生き物を飼うなら最後まで飼わないとね 首輪もある この犬を捨てたものは間違いなく罰が当たるだろう

子供の森編
洪水の痕跡から見ても ピクニックの森の川下境界にある第3土手逃げ水口?(標高2m)を超えた洪水は物理的に川下に向かったと思われる 痕跡がそれを証明しています

それにしても 一々操作しないと発色がY抜けになるキャノンでは面倒だね 開封して 撮影できそうだったときのテスト撮影では 日が当たっていた所為か まあまあの発色でした ピンともまあまあでした

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キャノンS5 ISの使用感
07/09/12

かつての私の本職は撮影専門の写真屋です 動き回る子供たちのスナップを主体としていました したがって いかなる条件でも即シャッターできるのでなければならない フィルムカメラではASA400を常用 快晴 曇天 雨空などに対して長年の経験から即座に対応できるノウハウを持っております そこへオート機が出てきますが 私のマニュアルよりも遅いために オート機は使わなかった

平成13年にサクラソウ情報をリアルタイムで発信することから即日HPに載せられる利点として ソニー サイバーショット505Vを採用してきた 歳も歳ですから新規に何かを覚えるのは億劫でして 目も益々見えにくくなるし 当然ながら オートですから一切手を触れずにカメラ任せでした

それが昨年から ソニー党ゆえに サイバーショットR1を導入 1030万画素にほれて これなら職業写真にも使えるかと 色々有ったのは前年度に詳報した通りです

R1は 日中でもシャッター切ってから次のシャッターに移行するのに1,5秒かかります これでは速写性はゼロですので連続する移動体は撮りもれます 速射性があって シャッターを押しさえすればいいカメラを待望していました S5 ISは私の使い方に合致しています ですが 習熟しないと使いにくいのがデジカメの宿命のようです
習熟したわけではないが 現在わかったところだけを記しておきます

日付挿入は不可
事実の証明を基本とする私には日付が入れられないのは不都合ですね これでは古い写真でも判然としないでしょう そこで日付が入れられるR1を各項目の頭に使用するしかない 物忘れが激しい私では 持ち歩いていても使うのを忘れていた

R1をフィルムカメラの6×9判として使う予定でしたが・・・

ISO設定
ソニー505V同様にオート設定が出来ます
505Vでは カメラ任せでしたから任意のISO設定をしなかった それでも問題なく絵を作れた ところが R1では任意設定が基本 そこで手ぶれ防止もあって フィルムで使い慣れたISO400を常用していた

S5も色々な方々の作品を見ますと自動が多く 支障もなさそうで505V同様に自動にシフトしているのですが 癖で直してしまう この点は私の操作はめちゃくちゃです

ひも付きキャップ
失くす心配はないのがいいのですが 軽く触れただけでキャップが外れる これでは キャップ無しも同然ですね

無印レンズ
505V同様 鏡胴にはズーム比記号がない ズームレバーを動かせば505V同様に液晶モニター内で白線が移動する それも静止しないから 現在何ミリ当たりかを知ることが出来ない キャノンの画像処理ソフトからデータを知ることは出来るが これがややこしいのだ

手ぶれ補正
レンズシフト式手ぶれ補正というが これが効果を発揮するのは明るいときだけ 暗ければISO感度が1600まで上がって 早いシャッタースピードを基本にしているようだ カメラ本体が手のひらサイズ 重量が450gでは手ぶれによるボケが目立つ 手持ちでの接写はぶれがちですね 物が二重に見える私には液晶モニターで確認するのは困難 もう少しこの液晶に慣れるまでは無理ですね

発色(色合い)
ノーマルではV抜けで青白い テストした結果では設定でくっきりカラーが 曇天に向いているようだ それでも血の気がなさ過ぎる

マクロ撮影
マクロでは T側いっぱい(430_)に使えない 
被写体との距離20p 写る範囲は縦10p 横15p ズームは210_

スーパーマクロ
の場合は 広角域しか使えない 1pまで近寄れるが実用性はない なぜなら カメラが被写体に影を作ってしまう

その他の機能は習熟いまだしです

以上を踏まえて本日のテスト画像を見てください 被写体は県立秋ヶ瀬公園内の冠水した後の様子の確認でした

昨夜の22:30からの雷雨は1時間で11,5_でした 以後も降り続き 本日の13時までにそう雨量が47ミリ 時間当たり11ミリが2回 10ミリも2回の激しい降りでした この長時間の土砂降りで洪水の痕跡は洗い流されていた 木陰の部分だけは泥が残っていた  
ご覧のように血の気のない色合いでは写真とはいえないので 今後はレタッチしなければならないですね テストとして自生地を添えます
レタッチデータ
明暗−8% コントラスト+18% 色相・彩度+26% 輪郭のみシャープ

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秋が匂ってきた
07/09/13

日付入りはソニーR1 ないのはキャノンS5

ここ3、4日来 夜半気温が20度割れでしたね 今朝は17,1度まで下がった 最高気温は26,3度 湿度50%台でしのぎやすかった

桜草橋から川上の左岸土手編
ヤマハギは野原博さんのHPから秋の七草をクリックして検索した

羽倉橋から川上付近の冠水状況編
羽倉横堤で遮られた洪水は第3土手にも行く手を阻まれて行き場を失い写真のように2mにも及んだ 日付のあるカットの右手には自動車学校があって使い物にならなかったそうだ 

羽倉横堤から川下へ800mに第3土手の逃げ水口?があって これを超えた洪水は川下へとなだれ込んだ 川上に当たるピクニックの森に洪水痕がないのは当然であった

子供の森編
キャノンS5は曇りの日陰ではホワイトバランスが機能しないようだ 同じ日陰でも太陽光線の反射を受けられる室内では素晴らしいんだがね
日陰側から写した 距離1,5m T側いっぱい(432ミリ)

サクラソウ自生地編

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あちッちち しつこいぞ 夏メ!
07/09/14

さいたま市は午後から水銀柱がどんどん上がって16時に30度を超えた 955hPaの強い台風11号が沖縄本島になだれ込んでいる お見舞い申し上げます

11号は日本海から北海道を抜ける間 熱波の家来を引き連れた夏メの蹂躙を我慢せにゃならんのだろうか 今夕の空はそれを示唆しているのかな?

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キャノンS5 ISの使用感 2
07/09/15

今日も私の予想通り30度を超えた 13〜16時=30度 11〜12時=29,6度 これは事実上の30度といえる ということは6時間も30度に浸かっている で 出かけるのをやめて室内でキャノンの色合いをテストした 昨日も触れたが 日陰でも明るけりゃ 何とか見られるようだ ただし R1よりはちょっとだけ暗めですね 
以下のカットはいずれもEV補正は0位置です
↑ R1は常時彩度を+側に S5は肌色↓
最近の私の目は益々二重三重に見えますので液晶モニターで確認するのは困難です それゆえ カメラ任せにするので応えてくれないとね 

R1では ビューファインダーを多用しますので何とかこなしていますが 
S5 ISのビューファインダーは初期のデジカメ並みですね 液晶を大きくした分 ビューファインダーの使用頻度は少ないだろうと価格面で犠牲にしたのかな 

ま アクセサリーシューがついて ホットシューを装着すれば中型以上のあらゆるストロボがセット手順無しに使え点で勘弁するとするか

18:40 追記
目が悪いだけではないよ 頭もぜんぜん回転しないのだ 表に用足しがあって外に出たら西の空に 三日月が低い位置に 実に美しい 空は藍色 シャッターしない手はないと 慌てて戻ってR1を手に ぶれブレでどうにもならない 車にある三脚と思ったが 300M先にある 間に合うはずもない S5に切り替えれば良いのに日付に執着 ところが家には大型三脚が2本もあるのだ ここまでとろくなりゃ人間廃業だね

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再度三日月に挑戦
07/09/16

日付入りはソニーR1 ないのはキャノンS5

今日は 09時と17時の29,6度を挟んで30度を越えた 最高は13時の32度であった 同じ30度超でも昨日は南の涼風だったのに対して本日は 正午頃から人間燻製が出来るほどの温風の連続だった

昨日失敗した三日月の再挑戦 用意万端だったが 問題も発生した 操作が異なる別々のメーカーのカメラを同時に使うのは大変ですね しかも 駅ホームに入る減速した電車を手前に配するのは
夕焼けに三日月 欲をかいてみたが この雲はどんどん西に沈んでいった 三日月の撮影時には雲ひとつなかった
電車の間隔が長い 月はどんどん沈んでいく 三脚を2本使うのはスペースの関係で無理 待ちかねて 縦位置でS5を取り付けているときに電車が入る 慌てふためいて 写角は合わないわ 電車の最後尾が見える前にシャッターはするわで 思惑通りの絵が作れずにトリミング
我が家の猫はテレビ大好きで〜す 手ぶれです ご勘弁を

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匂っていた秋よ いずこへ
07/09/17

今日も人間燻製工場のようだった 09時と18時の29,6度を挟んで30度超え 最高気温は32,8度 実質的32度は5時間もあった

そういえば今日は敬老の日 夕方のTBSニュース特集で83歳の現役お産婆さんと101歳までの男女の活躍を紹介していた それらを見ているといずれも勢いのある性格であった これが長生きのコツですね その点では私もひけを取らないが 自立できれば良し そうでないと周りが迷惑するね 長生きもほどほどだね

↓の路傍の花のように 悪い環境でも益々勢力を広げられるのであれば誰にも世話にならず 迷惑もかけずに長く生きられればね

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秋を見つけに自生地へ
07/09/18

寝ている最中に 左右の足が交互につって寝不足だった

終戦の翌年 警察で冬の間 柔道の稽古で技をかける瞬間に足がつって大変だった それが何時しか持病的に相成った

昨夜の23時半に就寝 寝るときは気温が27,6度 南側と西側の窓を開け放して タオルケットでも足に絡んだのは暑苦しく それでお腹だけにタオルケットかけて寝ていた 

足がつるということは冷えているのかなとうとうとして08時に起床した 足がつるわけだ 窓を開け放した中で気温は23度だった 無風であれば問題なかったのだろうが 風が結構吹き込んでいた

本日も30度を越す予報なのにと 気象庁の衛星画像を見た 北の高気圧が南下していた 涼しく足がつるわけだ
気象庁より
正午前でも太陽は顔を出さず 涼しい 14日以来 猛暑に耐えかねて出不精だった重い腰を上げて自生地に出かけた

駐車脇の畑でニラの花が咲き誇っていた
キャノンS5 ISのマクロ機構はおかしい 通常マクロとスーパーマクロがあるが 通常マクロで合う焦点は見つからない T側いっぱい(望遠)にした方がアップできる オオタデはその手で シロタデはスーパーマクロでレンズの影が邪魔して露光不足と手ぶれ 画像すべてを加工しています

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07 足元の世界(12)
07/09/19

子供の森編
里山の本来のこの時期はキノコのシーズンです 残念ながら台風9号が撒き散らした大雨の洪水で ここ県立秋ヶ瀬公園子供の森は菌がすべて流され ご丁寧に 泥で表面舗装までされて死滅したようだ 

それが目的ですので探しに入ると↑の情景が飛び込んできた その先に目をやると 梅雨以来 途絶えていた鳥追い人たちがそこかしこで陣を張ったり 大砲もどきの大型レンズを三脚に固定して担いで歩く姿もあった
キノコは望むべくもないと諦め そういえば キジュは実をつけたはずと向かった サッカー場の草むらで何かが跳ねた 立ち止まると 跳ねた物も じっとしている 目をこらすとカエルちゃんだった 例の声掛けで3カットしている間中 ポーズをとってくれた
キノコは無理でも 運動不足解消にとアマナブロックの彼岸花は咲いたかと足を向けたとき サッカー場と子供の森の境の地面に朽ちた太い枝にキノコが 地面と違って 木材に住み着く菌は流されないのでしょうね
ある一角に 他よりも90p盛り上がった場所にシメジがかたまっていた 子供の森のこの高さだと冠水すれすれだったのかな?
ヒガンバナは少し早かったようだ S5の色合いはY抜けの冴えないものゆえ カメラ側で赤を強めたら ヒガンバナだけが滲んだ赤だった 血の気があるグリーンを出すために加工するも滲みは取れない 宿題だね

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秋の彼岸入りに猛暑
07/09/20

1日半の涼のお土産をもらって助かったが 今日もまたも猛暑じゃった
最高気温31,7度 月1の検診日とあって出かけずに他所の画像でおうだを上げます

太陽が北回帰線から戻って地球の中央に到着しました わかりにくいので今朝6時の画像を添えました 来月の6・7・8日では各地の幼稚園で運動会があります ありえないだろうが 熱中症で園児たちがばたばたと倒れることがあるかもしれません 30年前では考えられなかったね 秋の運動会といえば冷えたものでした
気象庁より

久しぶりでNTTの三つ峠のライブ画像を見ました 11時の画像ですが 
10時には雲一つなかったのが 温風が山越えした途端に山並みに沿って雲がたなびいている この時間の気温は12度でした 気温を見るには気象庁の富士山です 
以後1度ずつ上がって 16時=16,2度 下界が暑いわけだ
三つ峠のライブカメラ

余 談
猫を飼われている方はご存知でしょうが メス猫は愛想がない そこへ行くと雄猫は表情豊かでおしゃべりだ 甘ったれでもある 我が家のメス猫も私に甘えるとき以外は表情が険しい ただし オス猫より動作が面白い 
食が細く やせぎすで寒がり クーラーの効いた部屋には間違ってもいない そのメス猫が最も好む場所が下駄箱の上だ いつもは人形の足を枕にして寝るのだが 病院へ出かけるとき 前日撮影忘れしたポーズで寝ていた 枕にではなく 寄りかかっている 早速シャッター 睡眠妨害でご機嫌斜めだった 

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昭和20年1月のある事件
07/09/24

自叙伝です 転載 盗用 引用を禁じます

私の人生の前半の独白を聞いた人たちは一様に すさまじく波乱万丈だったんだね と驚嘆します 私自身は すさまじく波乱万丈とは思いませんが 昭和34年にある有名な直木賞受賞作家から書かしてくれと懇願されて ああ そうだな この先生までが感嘆するのだから そうかも知れんなあと 振り返って肯定する程度でした

懇願された当時の私は東京探偵社に勤務する私立探偵とタクシードライバーを兼務していた 本職は探偵 東京の道をすべて覚えるためにタクシードライバー 両者ともに自由業ですので両立できた 探偵では報告書の作成が義務付けられています 戦後 復学しておりませんので 話は得意ですが 綴り方は不得手でした それが報告書を書くことから綴り方にも興味が湧き出した頃でしたので 自分で書きますと直木賞受賞作家からの懇願を断りました それから早47年 未だに書いておりません 私の3本のHPで断片的に書いてはおりますが・・・

本日のテレビ朝日の午後の特集で731部隊を取り上げていました 国際条約で禁止されている細菌兵器開発を主に中国人 他に朝鮮人 ロシア人らが生きたまま人体実験に使われていた それを『マルタ』という マルタを集める役割が憲兵隊だったと元憲兵隊員が告白していた 憲兵隊 この言葉で父親と私も深く関わらされたことを思い出した

8月のお盆期間中のご無事を祈るの中の余談 森羅万象は有限に

――生まれ育った家庭には色々な問題があった それを振り切るために旧制中学を中退して海軍特殊航空兵に志願して体のいい家出――

この時代の話です

呉市広の水上航空隊に配属され 速成で複葉機を飛ばせるようになって本隊に戻されていた 具体的なことは何一つ知らされていないが マルダイという特攻機で 一式陸攻の腹にぶら下げられ 敵艦の近くで放たれて推進力はなく滑空して体当たりする 初期では成功したが 推進力がないのが知られて以後は成功率は0だった その所為か 次の手段が考えられるまで我らは陸戦隊の真似事を日夜させられていた 昭和20年1月ともなると敵艦載機の空襲を度々受けるようになった この時点から士気が衰え ある上官の口から敗戦の言葉がひそかに流されるようになって 我が小隊のみならず特攻隊要員の各小隊共に愚連隊もどきグループが排出する 私も 生まれつきの怠け者ですから度々訓練を病気と偽ってサボるようになった 真似る戦友も出て ついに11人のグループと相成った 大きな組織は48人グループであった この頃から 憲兵小隊が配属され 戦友をスパイに配置して監視をさせるようになっていた

私は本が大好きであった そのきっかけは『怪盗 アルセーヌ・ルパン』であった シリーズものですので公休日では古本屋で1貫目何ぼと纏め買いして運がよければ紛れ込むという買い方をしていた その最後ともいえる買った中に分厚く恐ろしく難しい本があった タイトルはうろ覚えですが『黎明は輝く または 明け行く』 社会主義者の本のようであった 当然 興味はなくトイレットペーパーや鼻紙代わりに同室者で剥ぎ取って使っていた

海軍の兵舎は畳であった なぜか その日だけ誰かが使って畳の上に置きッ放しにしてあったようだった そこへ憲兵が巡回して発見し タイトルがタイトルですから持ち主は誰かと探索し私に突き当たったらしい 例のスパイが使いとして小隊長に告げ 憲兵分隊に出頭させられた

本の持ち主は貴様か 何をスパイしている 芋ずるは誰でどこそこかと殴る蹴るの拷問が続いた その程度でへこたれる私ではない なぜなら 母親はまるで鬼婆婆で折檻は父親が受けた拷問をそのまま利用する日常だったから我慢は出来た

彼 村上上等兵は憲兵分隊長 普段から恐ろしい存在で勇名をはせていた

貴様の父親は売国奴 我らの手で銃殺されている 調べはついてるんだ 貴様も父親の後を継いでスパイになったんだろう はけ! 楽になるぞ

なんて攻められてもただの愚連隊でしかなく スパイの能力があるわけはなかった 父親の件は事実であった 小学校へ上がる前 たまにいた父親が『農民組合運動』といいかけたときに母親が「政治はあなた一代にしてください 子供たちには語らないで」といわれて父親はそれっきり姿をまた消していた 結局 私が数え歳13歳(S13)の年に舞い戻っていた父親を憲兵隊がトラックでやってきて連れ去って銃殺 遺体も貰えなかった 村上上等兵はそのことを指していた

殴る蹴るに スパイでもないのにいえるか!こうなったら根競べだと歯を食いしばって頑張りとおした 村上上等兵も殴る蹴るが疲れるのか 長さ80pほどの野球用バットを小さくしたような『精神注入棒』と書き入れたので殴ってもへこたれない私に 腕立て伏せを命じた 上下動しない けつを持ち上げた姿勢で 腕が支えきれなくなると崩れます その都度 精神注入棒でお尻や太ももの裏とかふくらはぎを遠慮会釈なく叩かれます 今思うと 彼は顔とか腕を精神注入棒で叩かないのだ

腕立て伏せが4時間たった辺りが暗くなって

強情なやつじゃ 俺も今日は疲れた 明日朝からまた絞るからな で 食事も与えられずに憲兵分室にぶち込まれた この分室は海軍式官舎を代用したもの 各部屋には天窓がある 玄関からの一間を土間にして 表に向かって椅子が一脚置かれ 当直は見習い憲兵が一人で昭和刀を杖代わりにして両手を添え 座り込んでじっと表を見つめる

私の両腕は普段の倍に膨れ上がっていた 動かすこともままならない 苦痛が上まって腹はすかなかった 程なく 天窓から縄梯子がするすると降りてくるではないか 続けて仲間の一人の顔が見えた 出ろと無言で指示している 私はもう動ける状態ではなかった 膨れ上がった両腕を見た彼は うなづいて 待ってろといったような気がした

玄関でざわついている 続けて3人の仲間が飛び込んできて私を抱え 脱出した 玄関では仲間が3人で見習い憲兵を絞め殺して あたかも生きているかのように椅子に固定して縛りつけていた 表のあちこちに残りの仲間が見張っていた

仲間が言うには 今夜 くろんぼう部隊(例の大所帯愚連隊)の連中も脱走するそうだ 彼らは南京町(横浜中華街)を目指しているらしい それに紛れ込めば逃げやすいと計画を話してくれた 私は反対した 48人もぞろぞろしていたんでは目立つ それより ということで 今夜の実行を計画した2人と計3人だけで西へ逃げるが得策と8人を残して3人で藤沢に向かった

仲間に私のことが知れたのは 例の憲兵の犬になったスパイが誇らしげに吹聴していたらしい 戦友を裏切り 雇い主も裏切った馬鹿なやつでした

当時の私どもは 厭戦気分の隙をついて公用証明書を偽造して持ち歩いていたので それで切符が購入できた 逃亡は成功した 時は昭和20年1月28日であった

玉音放送が終わって直ぐに逃亡先の大分から列車を乗り継いで厚木に舞い戻った 憲兵分隊は跡形もなく消え 手をつくしたが今もって村上上等兵の消息は掴められなかった 途中 広島駅の惨状を夜中の所為で垣間見ることが出来なかった

今日はここまで 逃亡中はアルセーヌ・ルパン方式を多用して世界に名だたる憲兵隊網を潜り抜けた話しは後日改めて書いてみます

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07 足元の世界(13)
07/09/26

久しぶりの上尾運動公園プール脇です 台風9号が撒き散らした180ミリの雨はここでも菌を洗い流していた 本来なら松の混交林ですから賑わっていなければならない イグチ類 チチタケ類がまるでない 毎日散歩に来ている熟年男性が言うには 去年は賑やかだったそうだ 凄いキノコがあって絵を描いている人がこの先にいると教わった

それにしても キャノンS5 ISは曇り空の林の中ではオートホワイトバランスがまるで機能しない 明るいところではまあまあ見られるのだが 
日時入りはソニーR1

苦労して初めて踏み入る明るいバイパス付近で腰掛けて絵を描いている若いご婦人が目に飛び込んできた しめた! 何がしめたかはわからんが・・・ 近づいてみると日本画家の若い男性だった 見事な絵だった
コフキサルノコシカケ 切り株すべてに茶色の粉が振り掛けられた状態 粉吹きのゆえん まだまだ増えますね しかも ピクニックの森にあったのと同じように それぞれが30cm以上に成長するでしょう S46年からキノコを追いかけているが こんな見事なのは初めて出会った

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07 私の散歩道(10)
07/09/27

夏がサヨナラして涼しくなって助かった ここに立つと私のために青空が顔を出してくれた ススキはないかと探したがヨシとオギだけであった

そこで期待はしないが子供の森へ 真っ先に目に付いたのが腹が立つ風景だった 何でこのようなことをするんだろうか
花はそこに咲いているからこそ美しく癒してくれるのである このざまは大人の仕業ではないでしょう 餓鬼にしても 何組かの親たちが集まってバーベキュー(禁止場所であるが無視されている)に興じ 子らの振る舞いには無関心 その親たちを育てた親たちもさることながら この親たちに育てられた子らの将来は悲惨だろう 徳育とは こういうところから教えるものなのだ 若年者犯罪の多発の出発点はここにある
腹たち紛れにその場から離れると まあ そうカッカするなといわんばかりに池がまぶしかった
↑の森は下草のない落ち葉だけの森でキノコの宝庫であった ところが台風9号が落としていった180ミリの大雨と洪水で 菌はことごとく流された上に猛暑と度重なる雷雨を受けて地面が再生されて ご覧のとおりです こうなると見て回るのも億劫で引き上げようとしたら 目の前に蜘蛛の巣が 大と小 親子かなとS5 ISで捉えようとするのだがマクロが効かない そこでR1の出番 そこへ 声がかかった

いいのが撮れますか

私同様にカメラを手持ちの御仁であった

蜘蛛の親子を撮影するのだが

R1でやっと何とかものにした そこへ最前の御仁が側へ

大きいのがメスで 小さいのはオスです メスの取り合いになるでしょう
そこで別れて 別の場所で彼の御仁とまたすれ違った 何度も会っていて言葉も交わしているそうだが 私はぜんぜん覚えていない
Yさん ご承諾に感謝です よろしければメールくださればオリジナル画像をご進呈します
ヒガンバナは昨年よりもいたるところで咲いています この分ですと3、4年後には森一面に増えそうです

雨がぽちぽちと落ちてきたので引き上げることに 途中 自生地に立ち寄ってみた クコが咲き出していた 雨は瞬時で終わっていた
キコスモス以外はすべて加工しています

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偶然の遭遇(上)
07/09/28

自叙伝です 転載 盗用 引用を禁じます

昭和29年3月 私は五つ目のタクシー会社に移っていた 東京は知り尽くしていると自負していたが それは繁華街の周りだけであって 尾行コースの地名はまるでわからない そこで尾行終了後に同じコースをたどって地名を記入していた これでは手間暇かかって仕方がない 短時間で覚えられる方法を模索していた そうだ タクシードライバーだ そのタクシーも中々入社困難であった 世の中では無職者がゴロゴロいて しかも 復員軍人などは自動車部隊にいた連中は軍から発行した運転証明書所持者がうようよしていた 働く職場もない 自然にこれらの行く道はタクシー会社と相成る

東京のタクシーは 神風タクシーと恐れられていた 昭和29年でも信号機のあるところは10本の指以内であった 自家用車は商社ぐらいで後は公用車のみであった この環境でタクシーだけが目立っていた 当時は交通法ではなく 交通法規のゆるいもので交通違反で捕まるのは稀であった ゆえに あちこちの交差点でタクシー同士の衝突事故はまるでシーズンのコスモス畑であった

私が選んだ五つ目のタクシー会社は後楽園の入り口にあって外車と国産車合わせて90台の大手であった しかも タクシードライバー間では
『運転手殺し』 の烙印が押された会社でもあった 神風タクシーの遠因はおそらくこの会社が基点であろう

いかなる怠け者 サボりが専門のドライバーでもはじめて入社した会社では超人的な稼ぎをする 稼ごうという気がなくてもです それも およそ7勤務(24時間勤務 走行キロは700キロ 固定給なし ギャラはオール2割)つまり 2週間で稼ぎが半減するのだ 実に不思議な現象ではある 

この稼ぎが落ちたときに解雇される 補強はいくらでもいるからだ したがって解雇されないために手を上げた客の奪い合いとなる この会社は大型外車と中型外車が三分の二を占める 加速力 高速走行はお手の物ですから おたおたしている国産車を追い抜いて客を奪うのは朝飯前だ これぐらい荒っぽくないと稼ぎの維持は不可能 それはそれはすさまじいものであった

私がこの会社を選んだのは探偵との兼ね合いで 昼夜勤務が別々であることからでした 日中勤務を選んで夜は探偵の仕事という具合であった

朝鮮戦争が終了してさしもの金片景気も消え 世の中は不況のどん底にあった タクシー利用者も減るばかりであった そこで私が取った手段は出入りの激しい官公庁をターゲットにしていた その中では短距離ばかりだが 特許庁前で客待ちを主にしていた

道を覚えるのが目的であったが探偵よりも収入が多かった それと 当時のタクシードライバーは山の手線内のみで稼いでいた 山の手線の外側を流すのはもぐりといわれていた

なぜか 特許庁の表側の建物縁には胡散臭い連中が常時7、8人も日向ぼっこをしていた ある日 その中から中年二人が駆け込んできて『ソ連大使館から出てきた乗用車を尾行してくれ』 特許庁の真向かいがソ連大使館であった 冷戦時代では各共産圏大使館への張り込み尾行は常態化していたという 胡散臭い連中とは刑事だったのだ 

乗り込んだ二人をバックミラーで見ると運転席の背宛に(当時の運転席は長椅子 仕切りはない)ひじを突いて凝視している 

刑事さんですかと尋ねた

警視庁公安課のものだ

本当ですか?

なんでだ 黙って見失わないように運転してろ!

そんなにしゃこちばっては直ぐに気付かれますよ

なんでわかる

私は東京探偵社の私立探偵ですよ

身分証明書を見せた上で

あなた方は楽してふんぞり返ってください 後は任せて

そうか 遠い親戚か よしわかった任せたぞ

ソ連大使館の乗用車は御成門から日比谷に向かい 田村町4丁目の交差点を過ぎ 左手にある『日本放送会館』ビルの二つ先の富国ビルの中央にあるソ連人経営の毛皮店前で止まる 乗っていたのは3人 3人とも毛皮店に入った

公安の刑事を30m手前で下ろした 二人は目の前の電柱にしがみついて見張っていた その格好はこっけいそのものだった 私は人相が悪く あのような格好では回りでもざわめくものだ ゆえに 常に長い距離をとって自然体で何食わぬ顔していたものだ

二人を尻目に日比谷交差点に でも 気がかりだった 帝国ホテル前でUタン(当時は出来た)して戻ると二人は最前の格好のままだった またもUタンして声をかけた

連中はもういないよ

なんでわかる

あのね 富国ビルは前後左右に出入り口が4箇所もあるんだ 表から毛皮店に入っても 同じところから出てはこない ビル内の中央通路を日比谷公会堂側から出たと思うよ 確認してご覧

確認した二人はがっかりして戻ってきてくれた

運ちゃんの言うとおりだった 特許庁へ戻ってくれ

私も 富国ビルでは苦い経験をつ 警視庁といったって高が知れてると思った こうして 二人のうちの偉いのが

これから専属でやらんかと誘われた もっけの幸いだった なぜなら 相手もKGBという世界切っての組織がある こんな生チョロイ連中じゃ手も足も出ん そこで 追跡はお手の物ですから止まらずに走り回ってくれればメーターが上がるというものだ ずいぶんと稼がせてもらった 偉い人の通称は「デカ長」だった

彼らと組んで 時には交代時間に間に合わないこともあって 交代時間後の稼ぎは夜間勤務者に振り分けを提案 事情を知った会社は 車を毎日変えてくれた(乗務予定者の欠勤 公休専用乗務者を排除など)

こうして9ヶ月目にデカ長から

君はもう辞めたまえ 相手にも知られすぎているし そのうち敵味方から消されるおそれもあると脅かされて二度と立ち寄らなかった

私が手を引いてから8年ほどしたある日 国鉄市谷駅のホームでデカ長と再会した すでに退官していた この話はまたの機会にします

市谷から7年後に フランスベッドの女性セールスマンにソフワー兼用ベッドを買わされた 彼女は元警視庁のスリ専門の婦人警官だった そこで その話をすると ああ あのデカ長ね 警視庁ではデカ長で通る有名でしたよ 

話しを戻して 組んでいる最中のある日 老年の二人が例のようにソ連大使館から出た車を指差して『あれを尾行』と乗ってきた ややして 年取ったほうから

君の名前に覚えがある(ダッシュボードに名刺の化け物を提示している)

とんでもない あなた方とはこの張り込み以外での関わりはないよ

いや 違う 海軍にいたかな

おりましたよ

名古屋にいたか 栄は知っとるか

ええ 少しだけいました

き 貴様だ〜

つづく

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偶然の遭遇(下)
07/09/29

あの時は貴様 ああ 失礼 当時は特高にいて君を尾行して栄の交差点で見失い冷や飯を食わされた

話はこうだ

昭和20年1月28日夜の憲兵分室からの脱出では 時を同じくしてくろんぼう部隊の大量脱走に便乗して西を選んで小田急で藤沢に出て国鉄の夜行列車で名古屋に向かった 

二人は私と義兄弟を結んでいた まるでヤクザみたいですが 義兄弟システムは何もヤクザの専売特許ではなく あの時代では一般に広く利用されていた その経緯は

呉市広から原隊に戻されたら使い道がなくなって全員が放心状態であった そこで使い道(飛行機による特攻はできない 操縦術は完成されていず 滑空して敵艦に体当たり戦法要員でしかないから)として陸戦隊もどき訓練に明け暮れていた

私は 感がよく 機転が利いてアイデアマン 1を聞いて100を知る逸材(チョンボの名人) それを小隊長が見抜いて最初の夜間訓練で斥候を命じられた

両眼共に2,0 耳も遠くまで聞こえる 覚えも早い そのときに組み合わされたのが二人の義兄弟 私の感の良さで敵方の斥候3人を捕虜にしたことから尊敬の念を抱き 後に義兄弟の契りをせがまれたもの 最初の手柄以後の夜間演習は常に斥候隊長を任命されていた 残りの8人は後に加わって何となくくっついていたものでした

私は徒党を組むのは趣味でなく 11人グループといっても常にくっついているわけではなく くっつかず離れずの関係にあった  それゆえ 周りのものは仲間とは気がついていない 腹心もどきは吉田という 彼は歌謡曲の裏町人生の曲を聴くとぼろぼろと涙を流す この曲が流行ったとき母親が他界したそうで母を偲ぶ曲でもあったようでした

吉田は 小隊長から あの本によって憲兵分室に出頭したと知って青くなったそうだ 私のことは隠さず話していたから二度と戻れないだろうと救出を思い立ったそうだ 

吉田も私に劣らず すぐれた逸材 救出に当たって 私を運び出す班 見習い憲兵を制圧するもの 残った5人は見張りと退路の確保と実に手際よかった

義兄弟二人と屈強な力持ちの3人が私の救出 で 短時間に事が行われて無事夜汽車の人となった次第です 義兄弟二人が同行したのは彼らのたっての願い 単独を望んだが 拷問による重症では無理だと救出を計画した二人も同行したいと言い出していた 万一の場合は一蓮托生だと死の行進を決意したのであった

私は元々強運の持ち主 ここまで九死に一生得ることは度々だった それらは自分の才覚で逃れたか または運が導いたものでした

他人の手によってことが運んだのはこれが第1号であった これ以後 私はじっとしていても見知らぬ人々が勝手にみこしを担いでくれた 私はただ揺られて今日がある

隊では 朝鮮や台湾の志願兵もうようよいた その中でも台湾出身者は気さくで その中に親しくしていたのがいて いとこが名古屋の三菱飛行機製作所で 小学校卒業と同時に志願した台湾少年工の指揮を取っている話を頼りに名古屋に向かったのでした

初対面で面食らっていたが 寮生活の手はずと面倒を見てくれた

私ども3人は 私の提案で他人のように振舞っていた 行動も日常では各自ばらばらにした この時に 名古屋市の中心街である栄へは度々遊びに行っていた

あちこちで空襲が頻繁になりだしていた この所為なのか 名古屋市ではお金さえあればなんでも買えた 陸戦隊の服が裏表で色が違うもの 戦闘帽しかり ズックも折りたたんでポケットにしまいこめるものまでひそかに売られていた いわばスパイ用品がいつでも簡単に手に入った 終戦まで後5ヶ月足らずのこの時の国民感情は開戦当時の気迫はどこにもなかった これも逃亡生活の手助けとなったのである

この日 栄をうろついていると首の後ろがむずむずする 風邪とも違う感覚だった もしかして尾行? 一瞬ぎょっとした そこで それとなく後方を確認していた 1時間の間で同じ顔が二人もいることが確認できた

実に巧妙であった 通常 後ろから声をかけられると大方は声の方に首を右に回します この動作では同じ顔は確認でなかった じゃが 首の後ろのむずむずは消えていない そこで念のためにそれとなく左に向けた 何度かしているうちに同じ顔がくっついてくることを知る

巧妙とは 距離を離して真後ろとか右側ではなく 5歩ほど後ろの左にいることでした これほど近いと 右向きで振り向いて確認するのは それより遠くを見るもの 100%の死角にいたのだ

あの時代でも 栄交差点付近はまるで銀座の人ごみのようであった それで 気付いたと悟られないように人込みを利用して姿を消したのであるそれは走るのではなくごく自然に人込みの衝立を利用した 

名古屋駅と反対側(北かな?)のふたブロック先の横丁に入ると床屋が目に付いた 5分刈りの頭を坊主にと頼んだ どうぞといわれたが 店内では具合が悪いのだ 尾行者に見つかるかもしれない 

そこで10円札一枚を出してこれでお願いします

海軍での我らの一ヶ月の手当ては1円20銭であった 10円とは大金である その大金はどこから手に入れたかというと

例のくろんぼう部隊の連中が陸戦隊の戦闘服をトラック3台分も倉庫からかっぱらって航空隊の北側に広がる広大な松林の中央に埋めているのを 我が仲間の一人が見ていた その報告を受けて よーし 一台分を頂こうということに それを買う業者も結構いたようだ 材料不足で納品できない業者が続出していた くろんぼう部隊もそれをにらんだのであろう 仲間には気の利くやつがいてそれとなく探り出していた トラックといっても当時は5トン車であった 一台分を5千円で引き取ってもらった 業者はそれを納品するんでしょうね 逃亡の半月前であった

10円札ばかりを千円にすると1万円札の100万円束になります さあ お金はたんまりとあるが使い道がない 万一のときに利用すべく仲間に隠匿させた

脱出に成功したとき仲間が逃亡資金として差し出した こんな大金ではかえって足がつく 逃亡資金は必要であるが千円でも多すぎる しかし 3人であるから3等分すればかさばらない 10円札はその資金であった

床屋の爺さんは 10円の意味がわかっていて

そうですね それでは奥へいきましょう

間口は2間程度ですが 奥が深い ジェット機を利用するほどだった 租税関係で江戸時代からのしきたりらしい

当時の散髪代は一人当たり5銭ぐらいでしょうか 200人分の稼ぎになる それはそれは親切だった 丸坊主 眉毛も細くしてもらった まるで別人だ 服と帽子を裏返してズックは白から黒に変えて 裏口から出してもらった

よせばよいのに 青ざめているだろう尾行者を探した うろうろしていた 二人の前を通り過ぎるがぜんぜん気にも留めてくれなかった

簡単な変装に過ぎないが 人間の記憶の脆弱性をついたことになる 
アルセーヌ・ルパンに最敬礼!

尾行者より先に宿舎に戻り義兄弟に尾行されたことを告げ どこへ行くかと思案していたところ 川西飛行機製作所へ移動するものがおるというので引率者の振りして紛れ込んでついていった

後の話はまたの機会にします

一部始終を元特高(姓は倉持 29年の時点では公安調査庁職員 警視庁公安と連携していた)は苦笑していた プロがずぶの素人にやられたのか

そこで尋ねた

私だと承知でしたか

もちろんだよ

では 何故捕まえないの?

拷問で動けないはずだから 憲兵を殺害しての逃亡は組織があると見たんだろうね それで泳がして監視する 今の話だと違うようだから君はついていたね

いつ頃からですか

情報があったのは栄でまかれた一週間前 たしか 中々外出しなかったようだったな

対象は私だけ?

そうだったようだね

その後の私の動向はどこまで知っていた?

それっきりだったようだ おかげで俺は左遷されてね 以後のことはわからない

ところで憲兵隊も参加してた?

いや 特高警察だけだ

戦争終了と同時に厚木に戻ってみると残した8人には憲兵の手は伸びていなかった これも見える形での徒党を組まなかったおかげでした


倉持さんとデカ長との張り込みや尾行上の付き合いが深いゆえに両陣営から消されると デカ長が心配したようだった

これ以後 退官した倉持さんと付き合うようになるが それも後日に書きます

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猫社会の掟と母猫の愛情
07/09/30

実に速い 時節よスローで頼む 9月1日のタイトルはつい何日前でもない思いが 早や9月の最終日になっちまった 最近はお風呂で洗髪すると手応えがまるでない悲しい思いがロケット並みの月日の進み具合と合わせて時間の貯金が減っていくのを実感してしまいます

そして 地球温暖化とかで9月まで猛暑が続いてどうなることかと思ったが時節は忘れずにきちんとやっていきますね 秋雨前線が居座って昨日今日は断続的に冷雨です 最低気温も15〜14度でした

先日の713部隊報道で憲兵によるスパイ嫌疑で拷問と脱走が思い出されて これからは取材対象が少なくなりますので間隔が伸びます 昨年までは平気で間延びしていましたが 毎日ご訪問いただく方も大勢いらっしゃいますので713部隊報道で穴埋めとして 憲兵によるスパイ嫌疑で拷問と脱走事件を自叙伝として書きはじめました とは言っても 文才があるわけでもなく かつ 62年前以降の場所や様子が忘却のかなたに消え苦労しています 途切れどぎれはご容赦を

9月の閉めとして本日のタイトルを取り上げます

平成12年頃 隣のすし屋で余り物を野良猫にあげていた やがて 我が家の眉毛ほどもない庭で出産を三度もされてしまった

その三度目の6匹の子猫は私どもを見るとさっと逃げます その中に灰色と白の二色の子猫だけは逃げるどころか 挨拶しながら寄ってきます 抱かれもさせます 白ちゃんと名づけました いつしか親子共々いなくなりました どうも 迷惑がった隣家が何かをしたためのようです

それが1年後に白ちゃんが大きくなって戻りまして餌を上げていました オスですが気が優しく 他のオス猫がやってきて抵抗はしないで追い出されるのですが 他のオス猫がいなくなると舞い戻ります 白ちゃんが突然姿を消しました また1年ほどして白ちゃんが現れました 体が綺麗なことから見てどこかで飼われていたのでしょう 隙を見て逃げてきたのでしょう 我が家にも表に出さない2匹がおりますので猫小屋を表に置いてあげました

ある日 気がつくと半身不随の子猫と一緒です 右目と右側の唇が変です 口の中も変らしく癇癪を起こしながら引きつって口の中を舐めていました 白ちゃんのために餌は出していますが 変なのに住み着かれるのを警戒していました

ある時 餌の時間になっても白ちゃんが現れません 不具の子猫は餌の前で震えながらも餌を食べません 食べられないのかと見ていました

そして ある時偶然に震えている子猫のところへ白ちゃんがいるのを見ました 白ちゃんは2、3口食べてから少し離れます ここでようやく子猫が食べだしています それを白ちゃんが見守っているように見えます それ以後餌を出すたびに様子を見るようにしていますが 白ちゃんはきちんと餌の時間には現れ 食べてから 子猫が食べ出します 白ちゃんがいないと食べずに震えているのです

想像ですが 不憫な子猫を白ちゃんが餌場にとどこからか連れてきたのでしょう 子猫も不具ながら礼節として 白ちゃんがいないと震えるほどお腹がすいてもじっと餌を見つめて待っているのですね 多分

それを 白ちゃんがいつでも食べていいのよ と教えたのか 白ちゃんがいなくても遠慮がちに食べるようになりました これを見計らったのか 半年ほどで白ちゃんがまたも姿を消しました もう二度と現れません

チビと名づけました 文字通りチビです 生育不良なのでしょう それが昨年の10月のある日 夫婦で旅行から戻ると玄関前に生まれたての子猫が横たわっています ワイフが持ち上げてチビに見せたところ逃げ出したのでチビが産んだ子ではなく 誰かがおいていったものと考えました

これも何かの縁とワイフが育てることにしてミルクを上げましたが 2時間後に息絶えてしまいました

それが今年になってチビのお腹が大きくなっています それまではオスかメスかを確認できません 気の強い子でして 餌を与えている最中でも攻撃してきます 仁義もあったものではないのでした

もし 大きいお腹がへっこんだとすればお産したのかなと 子猫はどこだろうと気をつけていますが 見当たりません お腹が膨らむ病気だったのかと安堵していました

それから一ヶ月ほどたったとき クーラー野外機下から体長10pほどの子猫2匹が姿を見せたではないか 途端に チビが凄い声出して隠してしまいました 以後姿は見えません 食事のときもチビだけです

玄関前にあった子猫はチビの子でしたね 初めてのお産で動転し成すすべもないために 助けを求めて玄関前においたのでしょう だが おそれをなして 確認させたときに逃げたということでしょう

子猫の体長が倍ほどになってチビのご飯時間には親子で食べるようになりました いわゆる離乳食期だからでしょうか 生意気にも皿分けしているのに母親の皿に首を突っ込んで食べます チビはチビで怒りもせず かといって譲りもしないで食べます 2匹の子猫は共にオスでした

やがて周りで悪臭が漂い出しました 近所迷惑ですので思案していたところ 娘の友人で猫を何匹も飼っているのがいて引き取りましょうと申し出ました 子猫の白い足のを白足チャン 片やトラチャンと命名 白足チャンは人懐こく 玄関を開けると家の中に入り込みます トラチャンは臆病で母親から離れません こうして母親は白足チャンが家の中に入り抱かれているのを黙認しているようでした

白足チャンの人懐こさで捕獲が簡単に出来て引き取られました その際トラの捕獲も長時間かけましたが 母親が隠したままですので ひとまず白足チャンを連れて行きました

それからが大変です わが子を呼ぶ母親の声が半月続きました そしてワイフの姿を見るとトラチャンを後ろにしてシェーッと威嚇します もう2ヶ月たちますが ワイフの顔を見ると威嚇しています わが子をラチしたのはあの婆だといわんばかりに またラチされるのを恐れてだろうね 不具ながらチビの母性本能は凄いものです 人間の若い母親に見せたいね

我が家の飼い猫は表の猫たちに対して(白ちゃんを含めて)寛容ですね他の猫が現れると網戸越しにすごい声で威嚇するのです

猫社会のしきたりというか掟というか 仲間意識が強く それを身を賭して守る 母猫の可愛がり様は 正に猫かわいがりですね 教育熱心でもあります 徹底的に行いを見せ 学習させています 例はいくらもありますが長くなるのでこの辺で 
↓は表に出さない我が家の飼い猫です
↑↓お好みの場所
時には喧嘩もするが↓の時もある

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