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自然の四方山話 10月

 10月の目次 
 ほれた女噺(上) 
 ほれた女噺(下)
 この秋の宿題 
 07 足元の世界(14) 
 07 私の散歩道(11) 
 信州は青かった 
 知らない事は恐ろしい・・・ 
 久しぶりの再会 
 07 私の散歩道(12) 
 長寿社会は国を滅ぼす 
 行き詰まった逃亡生活 
 幸運!終戦で逃避行終止 
 秋を探しに自生地へ 
 航空自衛隊例大祭? 
 秋ヶ瀬公園の秋を訪ねて 
 里山のキノコは終焉? 
 よろずばなし 
 あり難い!問いかけに即応 
 霊峰富士4ヶ月ぶりの雄姿 
 デカ長と9年後に再会 
 秋を見つけに 
 万聖節の前夜祭ハロウィン 

万聖節の前夜祭ハロウィン
07/10/31

11月1日は万聖節だそうですね その前夜祭の本日はハロウィンだそうです 我が家の1軒隣に幼児専門英語塾があります 昼前から向かいの空き地を借りて 何やらしていた 気がついたら↓の風景が飛び込んできた いいですね 幼稚園のお遊戯会と違って親子で共演できるのはね約3時間の賑わいであった 感激したのかお空さんも競演していた 

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秋を見つけに
07/10/30

サクラソウ自生地編
自生地の桜は健康そのものです ということは ゴルフ場や子供の森の桜の早い落葉の理由はわからない
自生地ではつる性植物が繁茂し他の植生に悪影響を与えていると1990年に旧浦和市教育委員会発行の 天然記念物論文集田島ヶ原のサクラソウ に老委託研究員が書いている ところがここ3年来 ↑の画像のようにチョコチョコとヨシとオギを駆除してきた その結果 ヨシとオギヶ原の面積は半分ほどに減少した その跡へつる性植物が大繁茂している ヨシとオギによってつる性植物の生存が阻まれていたのが 邪魔者がいなくなったことで大繁茂したものと思われる 自然は自然の淘汰に任せるべきで やたらと弄るべきではない生きた見本といえよう
一回りして車に戻ると大バエもどきが助手席で動き回っていた 小さくてもハエとは違い複雑な構造をしている
逃がしてから車内でおにぎり 目の前に不可解な光景が 
絵看板だけが見えるように除草されている ここは国の特別天然記念物サクラソウ自生地である 絵看板には老委託研究員の名前が刻まれている つまり 老委託研究員にとってここは俺のものだという意識が見え隠れしている 記念石碑を見せるのが本筋だろう 主客転倒だね

子供の森編
両手に花 むつまじく千年 うらやまし
今年の西南桜は西側の紅葉が早い 昨年は黄葉で散った

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デカ長と9年後に再会
07/10/29

自叙伝です 転載 盗用 引用を禁じます

東京探偵社での私の教え子たちが何かとわかり始めると次々に独立していった(当時は設立自由・現在は届出制らしい) そういう私も 会社に搾取され探偵だけでは生活が立たない そこで 昭和37年1月7日をもって両立していた最後のタクシー勤務を終えた時点で 生意気にも銀座6丁目のあるビルの小さな一室で独立した

探偵業のCMは 職業別電話帳が頼みの綱であった 申し込んだからとて直ぐに掲載されるわけではない 次年度の掲載に間に合えば翌年の4月からの掲載になる この間は 誰も知らないのだ 高い家賃を賄うのにわずかな蓄えと教え子たちから応援要請だけでは維持できず ついに3ヶ月で銀座から撤退 神田須田町のワンフロアーに6業社がついたての区切りだけの安い事務所に越した

この日は 近くに興信所を構える元同僚(営業部長)からの裾分けの事件に取り掛かって 中央線市ヶ谷駅上り線ホームに下りたところ 見覚えのある顔が立っていた もしかしてデカ長? そこでハンカチで顔を拭く振りしながら その人物の周りを一周した 感じとしてはデカ長に間違いないが こんな歳だったかなと恐る恐る

デカ長さん?

と声をかけた 見上げた顔はまさしくデカ長であった デカ長も 

おお あの探偵か

覚えてくれていた すかさずデカ長は

今も探偵しているか

ええ 独立して事務所持ちました

それはちょうど良かった わしね 退官していて現在は高利貸し業の調査を担当していてね 知ってのとおりの感の悪さから わしが眼つけてOKしたのがすべて夜逃げしている 今最大の夜逃げがあって至急見つけ出したいのだが わしのアシスタントと言うことで報酬は少ないがやってくれるかな

報酬が少ないといったって足は出んだろうと後日 飯田橋の事務所を尋ねた

人品嫌しからん社長とその部下とデカ長の3人だけのスタッフであった 29年当時のデカ長の面影は無く へまばかりの所為か小さくなっていた 調査報酬と諸経費合わせて5000円でどうかといわれ この昭和38年の物価では間違いなく足が出るが 猟犬的感覚が錆びないためにもいいかと引き受けた

夜逃げしたのは呉服屋であった 公文書による基礎調査を終えて 元あった呉服屋を訪ねた そこには親戚のものが借家を管理していた 方々で情報集めして 京成電鉄お花茶駅前の肉屋さんでヒントとなる情報を得て 国鉄木下駅近くの旧家を探し当てた 夜逃げの細君の叔母の家だった 聞き込みから人相が一致する夫婦がいることを確認してデカ長に通報した

我々が行くまで監視してくれというが 手持ち資金は底をついていた とてもじゃないが空腹でいつ依頼人が現れるか知らないのに付き合ってられなかった 

その旧家は小川のほとりにあって 直ぐ目の前の橋の袂に屋台の鰻屋があった うな丼が(文字通りどんぶりで)370円だった うまかったね
残りは500円を切っていた 帰りの電車賃いっぱいいっぱいだったので再度デカ長に電話し 資金的に無理だから報告したことで打ち切りますので逃げられないよう至急おいでください で打ち切った

後日 デカ長から電話があって あれから三日後に行ったが逃げられた後だったという 別の事件も頼むといわれたが採算が合わないと断った

この調査で色々な方が親切にしてくれた 中には相談事もあった 仕事のない貧乏探偵では暇がありすぎて それで 相談毎に文書でアドバイスをお礼に送っていた その中に お花茶屋駅前の肉屋さんに10ページほどの文書を渡していた この肉屋さんから後に凄い仕事が舞い込む

それから2年後にデカ長から電話 今は独立して高利貸をしている 小岩駅前近くだから遊びにこんかと誘われた 訪ねると ある宗教団体に入信していた やばいのでほどほどにして逃げ帰った

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霊峰富士4ヶ月ぶりの雄姿
07/10/28

真白き富士が消えたのは6月18日ごろ 台風20号で本格的な真白き富士の姿に戻ったね 今日は各地のライブカメラで横着します
NTT三つ峠ライブカメラ
松田山ライブカメラ 御殿場ライブカメラ
田貫湖ライブカメラ

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有難い!問いかけに即応
07/10/25

この木何の木?教えて〜とお願いしたところ 即座に小磯洋子さんからメッセージが来ました

私、差し出がましいと思いましたが、今日の樹の名前「カツラ」ではないでしょうか?
何となく、樹皮のガサガサ感でその様に思われました。
紅葉の頃、甘い香りが漂うように思います。

ということで カメラテストと香りを嗅ぎに参りましたが 最近の私は企画が実行直前に忘却のかなたに消えていきます 改めて嗅いで見ます
S5のホワィトバランスのオートは不順ですので太陽光にしたら こういう被写体では露出オーバーになりますね カメラ任せに出来ないのではね
出かけるのにぐずぐずしていて到着したときには南西方向では曇っていて 左側からもやめいたのがかかってしまっていた この後の森の風景でS5の色出しテストをしています
釣り人さんは気さくな方で話すことが出来て アユの遡上道があることを知りました↓ あれは何のためにあるかと不思議に思っていた 
肝心な匂いを嗅ぎ忘れた 今夜は書き落としたものをまとめようと決めていたが 内容が思い出せない 困ったもんだ
左はカスタムカラー 露出補正+1/3   右はくっきりカラー +1/3

これで見ますと くっきりーカラーで露出補正は+1/3で血の気が入りますね 後は好みでレタッチすれば活きた色合いが出ましょう
露出補正を0にしても笠の色は出せない そこで−1/3とアンダー気味にしたが 全景では色出しは無理 強いてやれば周りが暗くなるのでこの辺が押さえどころか 同じ値でも はめ込み画像は反射を避けられているが 現実の色よりも黒ずんでいる 反射率の高い被写体の色出しはデジカメでは無理なのかな
隣の子供の森の桜も90%落葉している さくらそう公園の桜はどうかを後日確認したい そこも落葉していれば 西南桜が正常であることから洪水の所為なのかな
我が家の玄関前でうろついていたものです 蝶の専門家の関口忠雄氏から つい最近教わったばかりですが名前が思い出せない

翅を閉じると1pしかないものだからマクロ撮影は出来ないのでデジタルズームで撮影して さらに トリミングしています

昨日来の蝶の撮影で いきなりT側いっぱいにすると居場所を捉えられない そこで ワイド側で確定して 蝶を中心においてズーミングする方法で何とか物に出来た 関口氏もそのような方法なんでしょうね

23:50 追記

おびき出された蝶の専門家の関口忠雄氏からメッセージが入りました

送信者: "関口 忠雄"
宛先: "青木実" <sakuraso@jcom.home.ne.jp>
件名 : 10/25の記事に関連して
日時 : 2007年10月25日 23:16

青木さんの今日の記事に名前を載せられたら、何か返事をしないとまずいかなと、取り急ぎ今日の蝶の種類はヤマトシジミですとお答えしておきます。幼虫はカタバミを食べますので、街中でも住める数少ない蝶です。
蝶を写す時には、相手は羽があり、危険を感じるとすぐ飛んで行ってしまいますので、ワイド側で、取り敢えず1枚撮り、余裕が有ったらさらに、近づくなり、ズームの倍率を上げるなりで、もっと良い写真が撮れるように心がけています。

ついでと言ってはなんですが、10/24のトンボの下の蝶はツマグロヒョウモンのメスです。行動を注意して見ると産卵するのが観察出来ます。その下の2枚はキタテハです。今の季節の見られるのは越冬する蝶ですので、夏の見られる世代より色の濃く形も精悍で逞しく見えます。更にその
下の2枚は今日と同じヤマトシジミです。その下はキチョウです。

ついでにもう一つ、10/23の蝶はルリタテハです。
では、また何か気がついたらご連絡いたします。


何時もながら感謝です 今度はきっちりと記録しておきます

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よろずばなし
07/10/24

日付入りはソニーR1 無いのはキャノンS5 IS

今日は上尾市に用足しがあった 時間があるので久しぶりで荒川参りと昨日掲載した丸い葉の紅葉の再確認をかねて上尾市に向かう

帰りの何時もは 運動公園プール脇に向かうのですが 昨日の様子から何もないと割り切って 30年前に関わった荒川寄りの上尾第1団地内にある ほし幼稚園 回りで荒川総合運動公園コースをたどった 走行距離は55` 30年も経つと様変わりを実感できた

ほし幼稚園の垣根の植木は30年たった所為で大木に 外から園庭も見えない その周辺も団地以外は様変わりだ 

川越線指扇駅前通りもずいぶんと賑わっていた このコースから大宮〜治水橋線を横断するのですが 直線ではなく 極端にいえば百曲がりだ 昔の街道は何かを避けて曲がりくねったのかな?

今日はひょんなことからカメラメーカー違いの癖などを知り得た キャノンS5 ISは寝ぼけたような色合い それで苦労していたが ↓の蝶の撮影で露光値を標準から+1/3オーバーにするとしゃきっとした色合いになった もっと早くに気付くべきだった 天気がよければ荒川でテストだ
↑は これ以上紅葉は進まないでしょう 日の当たらないところは青いまま 紅葉するときは 紅葉しているのが落葉した後になります
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里山のキノコは終焉?
07/10/23

キノコシーズンに里山での取材は稀ですので確固たることは言えないが 初めて関わったS46年と47年の2シーズンでは10月半ば頃から減少していた したがって 台風9号や その後の大雨で菌は流されて 秋ヶ瀬公園では冠水もあって林内の地面は再生されて草ぼうぼうです

一方 上尾運動公園プール脇森では 台風9号による大雨の影響はまったくない 森の地面は再生されず 相変わらず落ち葉ヶ原です それでいて菌類はあるべま時期に見られないのは 乾燥期間が長かったことが影響したのかな?

それでも 本日は奇跡が起きました 里山では30年ぶりにニガクリタケの一群に出会えました 約6ヘクタールの森の中でたったの1m四方の範囲内にありました コフキサルノコシカケも成長が止まったようです

秋といえばキノコ そのキノコが余り姿を見せないが 天空では正に秋の空です 今年はひっきりなしに見上げている所為か 鱗雲が多才です
写角36_と24_の違いです

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秋ヶ瀬公園の秋を訪ねて
07/10/22

先ずお詫びです 20日に紹介しましたナンキンハゼの紅葉を本日真下で確認したところケヤキの間違いでした 訂正いたします

ここ何日か11度以下に下がり 今朝はこの秋一番の8,7度の低温でした 20日の様子から たった1日の8,7度では期待はできないが秋を探しに出かけました

本日見つけた紅葉は プラタナスとケヤキが完全紅葉 小さな丸い葉(並木道) メタセコイアがちょこっと イチョウが一枝 などでした 

8/17以来 ほぼ2ヶ月ぶりでピクニックの森へ メイン駐車場から入ると右手がバーベキュー広場 遊歩道脇にあるコフキサルノコシカケを訪問する どこまで成長するかを楽しみにしていたが成長は止まったようだ
↑↓ともに まるで沖縄式屋根飾りだね

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航空自衛隊例大祭?
07/10/21

例年 この時期になると北方向から航空自衛隊の各種航空機が編隊を組んで 我が家を挟むように右(西)に左(南)に轟音を立てて入間基地に向かっていきます 10日ほど前からヘリの小編隊やらが通過していました 多分コースの習熟飛行なんでしょう

それが本日午前11時ごろから聞きなれた轟音が続きます 3編隊ほど通過してから慌ててS5を持ち出して撮影 大型機が3機種4機と数が少ない ジェット戦闘機はたったの3機1編隊のみ これは南側を通過したため 直射日光を避ける作業で撮りそびれた

例年よりあまりの少なさに 原油高騰による節約かと思い 入間基地のHPで調べると 航空祭は11/3とありますので今日のは最終リハーサルだったのかな そうであればもう一度撮影する楽しみがありますね 先ずは今日のをスライドでご覧ください 

データ
1/800〜1/2000秒 高速シャッターによる流し撮り
F4.0〜5.0 ISO 100 Pモード 

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秋が遠慮がちにノック
07/10/20

恥ずかしがり屋の富士山は最近良く雲隠れします 今朝は久しぶりの青空で姿を見せた富士山は美しく冠雪していた 今シーズンの初冠雪です

東西の姿です
 NTT三ッ峠山ライブカメラ  田貫湖ライブカメラ


雲さん 青空に歓喜の舞い スライド


子供の森編
草のない場所でかろうじてキノコが一個 落ち枝にはサルノコシカケ類
左岸寄りのグランドではナンキンハゼが少し色ついていた 今夜は冷えるというので明日以降が楽しみです

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秋を探しに自生地へ
07/10/18

信州は青かったから三日後に 白樺湖池の平ホテルの温度計は10度を示すようになって ここ4、5日来では7度台に下がっていた 青かった白樺湖周辺は黄ばんでいる

我が家には 小さな冴えない白花のハナミズキがある 花も駄目なら秋の紅葉もどす黒い 昨年はなぜか花は8輪しか咲かなかった このまま枯れるのかと思っていたら 8月からの猛暑の後で ツボミが25年来で一番多い 

例年 9月半ばから色づき出すのですが 今年も例年通りながら台風9号の後の猛暑も手伝ったのが 最近の夜間気温14度以下と今朝の11度以下で自慢できるほどの紅葉になっていた

直ぐ側の 西南桜通りの桜も程よく黄ばんでいる 日当たりの良い東側では間もなく赤みも帯びるでしょう
今日は月例検診日 ラスト診察を受ける調節のために自生地で秋を探してみた オギとヨシは白い穂を付け出していた 実りの秋の風情も・・・

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幸運!終戦で逃避行終止符
07/10/16

自叙伝です 転載 盗用 引用を禁じます

逃亡初日 藤沢から国鉄の夜汽車の車中で 義兄弟たちに伝えた

早かれ遅かれ捕まって銃殺されるだろう ならば 何日でもない生き延びでは捕まる恐怖に苛まれるだけだから どうせ死ぬなら早いほうがいいと俺は思う その覚悟があれば堂々としてられるだろう 怪しまれるようなこともナカンベエ 移動を除いては3人が一緒の行動は慎もう 対象は俺だけだから 万一 俺に縄がかかったら君らは知らん顔してずらかってくれ そして長生きしてくれ

これを聞いた義兄弟1号の吉田は

何を言っている それが義兄弟だろうに 一蓮托生というじゃないか 俺はどこまでもついて行くぞ なあ お前(義兄弟2号の名前がどうしても思い出せない 仮に不明君とします)

不明君も涙をこぼしながら手を強く強く握り締めてくれた

★★★
62年前の隠密行動ゆえに 地名や様子が思い出せない 事件的なポイントだけはうろ覚えだ まあ 生まれつきの健忘症の上に半年後には82歳になるのだから無理もないかと諦めている 自叙伝は記憶がはっきりしているうちに書くものだと悔やむが 後の祭りだ
★★★

汽車の乗り継ぎで やっと大分の一つ手前か先かの駅に降りた その家は大分との真ん中辺りらしい 暗闇の中を手探りで手紙に記された道順をたどった 途中100m先で人影を見た 心臓が止まるかと3人とも硬直した 自動的に3人ともしゃがみ込んで息を止めた 

人影が50mほど近づいたところで 頭巾をかぶったもんぺ姿のご婦人と認識できた 月は出ていない暗闇といっても星明りで舗装されていない白く光る道路の反射で丸見え同然だ

名古屋の100m道路ならいざ知らず たかがた3、4m幅の農道では犬でなくとも気がつく こんなところで怪しまれたら一巻の終わりだと私は覚悟を決めた

頭巾姿が5m手前で立ち止まった そして ご丁寧にも腰をかがめて覗き込んでいた

○○さん?

助かった! 親分の女将さんだった 心配で迎えに出てきたのだという

真っ暗な家の中へ案内された 最近はあちこちでB29の空襲があって 出かけるときは消灯しているのだという 真っ暗闇を1時間近く歩いて来た所為で60ワットの裸電球がまるで昼間のように明るい

細君は19歳の私らから見ればおばさんの歳であるが 丸顔のあだっぽい美人だった

主人が大変お世話になって有難うございます 命をかけて恩返しさせていただきますので安心してね

家の作りは普通の農家風であった 玄関に入ると土間があって 右手にかまどなどがあるお勝手 左に座敷がある 座敷に上がるには1尺ほどの上がりはなというかがあって さらに5寸の敷居?の上から座敷になる 手前が8畳の部屋 座敷に上がると右手に長火鉢 その後ろに床の間 隣接して押入れがある 奥は12畳の部屋 北側にも8畳と12畳の部屋が続く 一方 庭には 納屋と離れらしきのが3棟もある 往時は子分たちがここで寝起きしたのだろう

食料は配給制であるが 農作業もしていて自給できている それゆえ 我が3人も飢えに苦しむことはなかった 敷地の周りは常緑樹が垣根のように植えられて表からでは敷地内の様子をうかがうことは出来ない

7月の末ごろのある日 姉さんかぶりの女将さんが息を切らせて畑から駆け込んできた 方言で何やら叫んでいるが意味が通じない 雰囲気からただ事でないことだけはわかる 引っ張られるままに長火鉢裏の押入れに入るよう押し込まれ

一箇所に3人でかたまるように

我ら3人が押入れの戸を閉めるのを見届けていた やがて お勝手でマキを割る音が聞こえた

玄関の外で何やら喚いている声が聞こえた 続けて

おい! 誰かおるか あっ 貴様一人か! 子分たちはいるか 3人いるだろう!

凄い剣幕の声であった

女将さんは丁重に方言で答えていた 

嘘付け!正直に出さんとただ事でなくなるぞ!

(女将さんは方言で受け答えしていた 何を言っているのかはわからない 時々標準語が出るが 後にお上さんの翻訳で次のことがわかった)

何をおっしゃいますか 嘘と思うのなら家捜しでもして見なさい さあ さっさと家捜しせんか ほらっ 見てみんさい

女将さんのきりっとした声と共に我らの押入れが音を立てて開けられた 幸運だった 我らがどっちに隠れたのかを確認しているのと 我らも抱き合うようにしていたから近寄らない限り見えないらしい さらに 女将さんはほかの部屋の押入れも開けていたような音がしていた 男の声の主は 女将さんの一世一代の大芝居に肝を抜かれたのと 別の男の声でどこにもおりませんの声で足音が遠ざかった

もう終わったよ 大丈夫 出ても構わない

憲兵隊に踏み込まれたのだ 約2ヶ月もいれば 表から見えないにしても何やら雰囲気で周りの連中がざわついて密告したのだろう 憲兵隊が現れた以上は退去するしか方策はない どこに転がるが またも思案に暮れた そのとき 不明君が恐る恐る

もっともやばい場所だが 広島市に叔父がいる

という 世話になれるかどうかは別として選択肢に入る 私の頭をよぎったのは 灯台下暗し という言葉だ

広島市には大本営がある 最も警備が厳しいところではあるが 逆に そういう場所だからこそ立ち寄るはずはないと敵方は考えるだろう よーし 広島市がもっと安全な場所だ 問題は叔父さんが受け入れてくれるかどうかだね

考えても始まらん ここまで約半年も生き延びられたのだから この先もあるだろう ただ 今は憲兵も様子を見ているかもしれないので女将さんには申し訳ないが もうしばらく面倒を見てくださいと頼んだ 女将さんは ドンと胸を叩いて任せてと受け入れてくれた

ほぼ 10日ほど立った8月3日に女将さんと別れることになった 逃亡資金をほとんど使っていないので300円でお世話になったお礼として 女将さんに知られずにそっとちゃぶ台に挟んでおいた 別れの瞬間 お上さんは泣きじゃくっていた 万一の場合はまた戻ってと もうここはどこよりも安全だとも言っていた

夕方の列車を狙って広島に向かった

久しぶりの大都会だった というより兵隊の巣であった 町の中を歩いているのは兵隊ばかりだ

思い出し思い出しでやっと不明君の叔父の住む家にたどり着いた そこは空き家であった 近所で尋ねると疎開しているとのことであった またも途方にくれた くれてばかりもいられない 逃亡者にとってもっとも危険な土地だからだ 自然と足は駅に向かい 列車に乗っていた 私の決断でもう一度女将さんの世話になることにした 乗り継ぎで小刻みに買えば列車の切符は買えた

夜半に近い時間に声をかけた 私の声に女将さんは泣きながら迎え入れてくれた

婦人会行事で戻った女将さんは開口一番 皆さんには神様が付いているんだ 広島にいたら炭焼き小屋の炭になっていたよ なんでも B29の爆撃で一瞬にして広島市は焼け野原になったとの噂だよ 

続けて三日後にも長崎が同じ目にあったと噂が飛び交っているそうだ 後にわかったのだが 不明君の叔父が疎開していなかったら 6日も広島市にいただろう そうであれば原爆の餌食は間違いなかった

私にはここまでにも九死に一生という体験が数あるが 生涯でこれが最高の九死に一生であった またあった! 昭和20年8月15日 玉音放送によって戦争が終結したのだ 女将さん共々4人で抱き合っての喜び泣きだった しかし 親分がいた11海軍航空廠は爆撃で全滅していた(S23年 ただ食いされた女子大生に頼まれて逃げた男子大学生を広島県三次の実家へ質しに行った折 一度は行きたかった四国へ宇品から船で松山に向かうコースで 飴のように折れ曲がった鉄骨の山を見て知る)

8月17日別れに際し前回同様に今度は千円を長火鉢の引き出しにそっと入れた

以後 後生楽の私は九州に目がいくことはなかった ご健在であれば親分夫婦は100歳を超えているだろう 

世話になった台湾少年工たちは 名古屋も川西も修行ができたとして全員が本廠に戻され 鶴間(高座工廠で働く約一万人の台湾少年工の宿舎)で再会できた 残した8人の仲間とも再会し残っていた資金は全員で分配してそれぞれが故郷に散った 台湾少年工たちも故国へ引き上げ 戦友の台湾兵とその従兄は引き上げずに在日台湾人となった 現在はいずれも音信不通である

                      完

逃避行は3話です 
第1話 昭和20年1月のある事件
第2話 行き詰まった逃亡生活
第3話 幸運!終戦で逃避行終止符

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行き詰った逃亡生活
07/10/15

自叙伝です 転載 盗用 引用を禁じます

前号の最後の部分

よせばよいのに 青ざめているだろう尾行者を探した うろうろしていた 二人の前を通り過ぎるがぜんぜん気にも留めてくれなかった

簡単な変装に過ぎないが 人間の記憶の脆弱性をついたことになる 
アルセーヌ・ルパンに最敬礼!

尾行者より先に宿舎に戻り義兄弟に尾行されたことを告げ どこへ行くかと思案していたところ 川西飛行機製作所へ移動するものがおるというので引率者の振りして紛れ込んでついていった

    ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

ここ三菱航空機製作所には 呉市広の水上航空隊から本隊に戻った直後の休暇で 従兄(旧制中学卒業者)がいるということで台湾出身の戦友に連れられて訪れたことがあった 

救出されて逃げ場所としてとっさに戦友の従兄が浮かんでアポなしで飛び込んだのであった

実情を正直に話し 2、3日この怪我が収まり次第に移動しますと伝えたところ しばらく考えてから わかりました 任せてくださいと快諾してくれた 理由を次のように話していた

台湾は日本の植民地 そして徹底的な皇民教育で異民族の天皇のために身命を賭して はるか南から志願してきているのに ことあるごとに
『チャンコロ(漢族に対する蔑称)』とどやされ 我々が志願したのは間違いだったと悔やんでいるところです 自国民に対しても無茶な嫌疑をかけるんですね 同病相哀れむです ここは民間会社ですので軍の監視は厳しくないから居たいだけいてください 

台湾少年工はおよそ1000人ほど すべて寮生活 その管理はいわば自治 中卒者が取り仕切っていた 台湾少年工たちのほとんどは裕福な家庭の子 クラスで3番までの成績の子だけが志願資格があったそうだ

こうして長期にわたって世話になっていた うろつくとやばいので欲しい物は逃亡資金から渡して調達してもらっていた 例の変装用衣服も彼らが見つけてきたもの

周りで異常は感じられないので初めての外出が栄だった次第 そして 尾行がついてしまったのであるからいち早くここから脱出しなければならない その旨伝えると ちょうど良かった 150人ほど川西飛行機製作所に移動があるから その引率者としてまぎれてください 先方にも知己がいるからお任せください

川西も同じシステムであったが 1ヶ月ほどで全員が本廠(厚木航空隊の隣接地にある)への帰還命令が出るという噂が出て途方にくれた

そのとき 逃亡当日 仲間が大事なものと思われる私の私物を持ってきていた中の葉書1枚だけ持っているのを利用しようと思いついた

広にいた頃のある公休日の兵舎に戻る暗闇で ざわついている一団が目に入った 暗闇でも見える私は 2、30人が一人を相手に喧嘩を仕掛けているのがわかった 我々は14、5人いて 助けに入ろうかと声をかけたところ 血気盛んな連中ばかりですから 何も言わず一斉に2、30人を退治してしまった 虚を付かれたのだから何人いようが勝ち目はないのだ

私には悪い癖がある 喧嘩で負けたことはない 勝ちっぱなしもしない 必ず一人だろうがグループだろうが逃がさずに並べて説教を始めてしまう なんでお前らが負けたのかとね 早い話が 喧嘩のコツを伝授するのである その上で 俺はどこに住んでいて何という名前かを告げ 悔しかったらいつでもかかって来い 今日のようなざまだったら勝ち目はないぞ いいな! という具合ですから恨みを買われたことはない

この時もこの徹を踏んだ その結果 大勢の方は四国の博徒の親分 一人の方は大分のこれも博徒の親分 お互い共に徴用されて水上航空隊に隣接している11海軍航空廠に勤務していて 常日頃から抗争していた そこで四国は 工場内で新規の組員を組織して闇討ちをかけたことがわかった

馬鹿やろう!このご時世になにをぬかしているか!国賊メ!その気負いをお国のために向けろ!呼びかけにはせ参じたお前らもだ その意気込みを鬼畜米英に向けろ!良いか!!! 生き延びられて 戦争が終わったらやり直せばいい 今は ただただお国のために尽くせ で休戦させてしまった

助けられた大分は土下座して礼を述べていた 
このご時世ですので御礼は出来ませんが 万一何かあったときは女房を頼ってください 
と書くものがないので 肌身離さずに持っていた奥さんから来た葉書を手渡されていた 何事も瞬間芸の名人である私は自然とこの葉書だけ選んで持っていた 間に合うかどうかわからないが奥さんの住所宛に手紙を出した 全員が引き上げる前に返事が来た 事細かに細心の注意を払った内容であった

台湾の人たちに礼を述べ 命があれば再会しましようと別れた

つづく

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長寿社会は国を滅ぼす
07/10/14

自然界には 自然淘汰というシステムがある これによってバランスが保たれ万物が共栄するのだろうと思う

この法則に逆らうかのように人間は 四足から二足歩行に移り 空いた手を使うことによって文明を手に入れ やがて神の領域に踏み入れ長寿社会が出来つつあります

世界にはたしかに長寿で有名な地域は存在する その内容を報道などで見る限り 大家族単位の自助制度が確立されている 長寿者本人も ただ 生き長らえるのではなく自立している 経済や看護という負をあまりおっていない 

一方 科学文明の最先端を行く科学先進国のこの国では科学文明が精神文明を破壊し 社会構造が混濁し始めた 核家族だけならまだまだしも 親を敬う気風は遠うに消え 親の死を待ちかねて相続争いに走る

長生きは己自身だけでは生きられず 大小はあれ 年金の支えによってのみ生きられる 保険的支払いはあっても 支払う原資は 後に続く若者の保険的支払いに頼っている 不足分は血税でまかなわれている

その支払い原資を担うべき若者の生産が追いつかない 子を産まない気風が年々増加しているのだ 生んだ所帯にしても 贅沢を前提においているから 子育ては公私施設に丸投げで徳育の学習が出来るよう親が見せない 必死になっているのは 親の虚栄で幼稚園児にさえ贅を尽くさせているのだ その子(特に男子)は成長しても気力なく働こうとしない かじるすねがない若者は強奪に走る

この環境で 長寿者だけが増えていけば国家の先行きは知れよう 昔々に言われた『人生50年』が自然淘汰の法則に叶うのではないか そういう私も生き過ぎたなあ それこそ社会にとって無駄な存在といえる 私には救いが一つだけある 無年金者ということだ
ここでは問題だけを取り上げた どうすべきかは 皆さんで考えて〜  

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07 私の散歩道(12)
07/10/13

やっぱりじっとしてられずに飛び出した 青空はこれをもって本日は終了した カメラポジションはサクラソウ自生地への入り口 橋脚の下には大人のおもちゃの遊び場がある 平成13年から毎日のようにここを通るが紹介する気がわかなかった 本日はこれが主たる目的であった
珍しく参加者が一度に6人もいた テストで高速で突っ走るオモチャを止められることを確認して 目の前にすべてが集まるのを狙ったが これが限度だった

子供の森のメイン入り口駐車場では車が氾濫していた 芝生の中ではテントもあって相当な賑わいだ 何かのイベントかなと思いつつ 北詰駐車場に向かうとそこも車があふれ 左岸よりのテニス場駐車場もあふれていた 風に乗って バーベキューの匂いが漂う そうか 本日は土曜日だったんだ この匂いには辟易しているので左岸寄りに車を停め 遠めに様子を記録して風上側から探索した
キノコは残念ながら皆無であった 左岸沿いの土手から引き上げだ グランドでは小学生たちの野球で声が弾んでいた サッカーは終了していた 土手の除草は完了し何もない
賃貸駐車場脇の畑では数日前からニラの花に蝶やトンボが群がっているが 嫌われていた 今日こそはと粘った

愛の惨果(賛歌)?

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久しぶりの再会
07/10/11

現像所へ出かけるついでに自生地へ 昨年も今年もクコの居場所が見当たらない 先日 かろうじて一枝見つけたが一昨年のよすがはなかった どうも色んな枯れ草に隠れているのかなと それらをどけるとちゃんとあった すでに花の旬は過ぎたようだ これからは真っ赤な美しい果実が楽しみですね
最近はソニーR1とキャノンS5 ISを持ち歩いている 日時入れはR1で その他はS5と使い分けている S5は超望遠であるためかマクロに弱い 一方のR1は人間の視角に毛が生えた程度の望遠ゆえかマクロに強い そこでテントウムシをS5で撮影したのだが 十八番が出てしまった バッテリーを入れてなかったのだ 本日はR1使用 1mでスマートズームです 遜色はありませんね
鴨川べりで↑を撮影していると 蝶の専門家である関口忠雄氏が見えられた 車があるからいるはずだと探していたという 2ヶ月ぶりの再会だろうか 関口氏が現れてから さすがに蝶の専門家 色んな蝶が周りを飛び回っていた その中に8月に大きな蜂としたのは関口氏から次のようなメッセージが

ところで、クチナシに来る昆虫とは、真っ先に思い出すのが、これを食べる虫(青虫)です。実はこの青虫の親こそ、青木さんが捉えられた飛んでいる昆虫で、実は蜂ではなくオオスカシバというスズメガ科の蛾です 

オオスカシバに似た蛾が目の前で飛びまわっていた 今度は蛾ではなく蜂だと教わるが名前が思い出せない

それはともかく くちなしを食べる青虫をやっと撮影できていた
この話の最中に 関口氏は何かを追い出した ウラナミシジミという 飛び回るだけでシャッターできない 例の声掛け戦術に出るが効果なし 関口氏曰く 青木さんの呪文は効かないよ たしかに今日は無視されっぱなしだ ところがどうでしょう 呪文が効いたではないか 二人がかれこれ10分ほどいたがじっとしていた
手持ち撮影専門の関口氏が三脚を使っていた パナのFZ50はマクロに弱いとかで超接写に三脚は欠かせないとか 見ず知らずの方々を撮影しては載せるのに 関口氏を撮影したことはない 氏が嫌がるだろうと 載せるよと半強制的にシャッター
ノコンギクはまだかいなとあるべき場所に出向いたが見当たらない 情報源さんたちがいて尋ねると 台風9号の洪水で枯れたとのことだった で 駐車場側に出たところで 小さなキチョウが飛び回っていた 例の声掛けの効果か 1m先の地面で離着陸していた 水を欲しがっているんだよ そこに誰かが小便でもしたようだね というのでボトルのお茶をこぼして こっちの水がうまいぞと呼びかけた 全然 無視された ところがこれも真正面の1m先に着地して動かなくなった 
氏はカメラを構えたままチャンスをはかっている 私は空をシャッター
倍はあるキチョウがよってきた 仲間だから安心するはずだと関口氏 氏の解説どおり大小のキチョウは着地したまま動かない かれこれ30分はいた 氏いわく お昼寝の時間だよ ということは先ほどのウラナミシジミも呪文が効いたのではなく お昼寝だったんだね
縁石に座り込んでの語らいだった 関口氏といると不思議と蝶たちに巡り会える 氏は採取は一切せず もっぱらカメラに収めるだけですから 蝶たちも知っていて擦り寄ってくるのでしょうね

それにしても暑い 汗だくだった 氏と別れてバックに入れた温度計を見ると30度だった 木陰にしばらく置いてみると一度だけ下がった
車に戻るべく温度計を取り上げて振り返ると↓の風景が飛び込んできた

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知らない事は恐ろしい事だ〜
07/10/10

パソを入院させるのは ルンペンの私にとっては大変な苦痛だ ことの起こりはCDに画像を取り込めないことだった このパソは平成14年に購入したもの CDに縁がなかった私は触りもしなかった

それが昨年10月の幼稚園運動会から試しにCD製作に取り掛かるが 思うように作動しない
●CDトレーが中々出てこない
●簡単に画像の収録が出来ない
●収録できたCDを改めてトレーに入れて再生するも絵が出ない
ま 何がどうなったのかは全然覚えていないので説明は難しい 本年の2月も苦労して遊戯会画像を収録している

8月にもなんとも動かないので富士通コールセンターのお世話になった 結論はメカの問題よりもウィンドーズがおかしくなったのだろうからリカバリが必要かもしれないという

市販音楽CDを Windows Media Plyer に入れると音が震えたり 途切れたりする 何度かしているうちに音が正常にはなる ならないものが多数だが 此度の運動会はすべてデジカメに切り替え CDに写してプロラボにと作業に取り掛かるがまるで言うことをきかない

そこでまたコールセンタのお世話になった 色々教わって作業するも正常にならないのでリカバリですねと相成った 1時間ほどしてコールセンタから電話があって 確か8月にもリカバリの話であったねという この方は多分SBなんでしょう

リカバリというと私は震えが止まらない 昨年11月にリカバリしているが アイコンを保存しますか の表示が出て そうだな 毎度アイコンをクリックして使っているから OK しておいた

1年前後で壊れた外付けHDDをアイオー・データ製に切り替えて 開いてみると 保存したはずのデータがすべてないのだ 掛かりつけのPCの先生に電話すると アイコンは何もないんですよといわれた 結局 5年間のデータ 33GBを失ってしまった

メカの故障でなくても修理費を取られるから まず リカバリしてみてから修理の必要があるとなってからでも遅くはないですよと親切に教わった

とはいうけれど 運動会写真の時間的余裕はない それで思い出した 娘から貰った250MBフラッシュメモリーだ 試しに量が少ない大判写真だけを入れると 見事に収まった リカバリも修理もフラッシュメモリーでまかなえるのではあれば これが先だと2GBを買い込んだ

画素数落しを忘れたために356カットすべて800画素 257カットからメモリーできないとエラー表示される 容量は1.08GB なんで?となる
メーカーに電話すると ストレートに入れた場合はエラーになります フォルダごとの保存であれば2GB以内でしたら入りますという そこで メモリーフラッシュ内にフォルダを設置して356カットをドラッグすると見事に収まった ひとまず急場はしのげた

そこでおっかなびっくりでリカバリを決意 ところが ここ10日ほど 外付けHDDへの自動バックアップ機能が停止していた これではリカバリは出来ないので 半年振りでPCの先生に電話

FにあったものがGに移っていたことが判明 Gへの固定作業をリモコン(先生も私のパソとシンクロして手取り足取り)で教わりながら修正できた

ついでにCDの話になって 音楽CDを入れてと要請され かろうじてCDに移し変えられたCDを挿入しますが 動かない そこで オリジナル(市販)音楽CDを入れると 瞬く間に作動するではないか

先生の意見は コールセンタと同じになる 質の悪いCDだとこのような現象が起こりやすいんだと 5枚に1枚使えれば御の字だと 純国産の富士通推奨のメーカ品が良いですよと力つけられた

パソを使い出してから足掛け10年になるが パソの百万分の一もわかってないのだから年中右往左往するんですね 知らない事は恐ろしい事だ お蔭様で無駄使いにならずに済んでほっとしています

今週は写真の整理で手が離せないので 週明けからフィルド参りとします といっても じっとしてられず 飛び出すかもしれません

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信州は青かった
07/10/08

昨年の9/17当時と様子が同じであった 
http://www.ettsei.com/06%20newpage12.htm#F07
御泉水・長門牧場・女神湖・霧ケ峰高原・八島高原と娘の運転で半日も駆けずりまわったが 色づきを探せば1本や2本はあるが いずこも真っ青であった

手始めに 宿舎向かいのペンションを経営しているお宅のママさんが白樺湖畔で喫茶店と陶芸をも経営されているのを 知らずに入った娘との会話で話が弾んだというので案内してもらった 下手な説明よりもHPを見てください
http://hanatobo.sawarouge.com/

注文を受けてからコーヒー豆を挽いて沸かします 落ち着いた雰囲気で飲むそのコーヒーの美味しいこと 真っ青の中で 店内から白樺湖を見やるとウルシが真っ赤でした ??菊と教えられたが家族の全員が名前を忘れた 庭にはホコリタケが老菌ながらきりりとしていた
説明抜きで 信州は青かった を画像で紹介します 御泉水は様変わりしていましたね 標高1850mぐらいでしょうか やっとカラマツ2本が黄ばみ出していた マタタビが木全体で真っ白だ アザミも見られた 

私のパソ内にあるCDシステムが不具合ですので入院させる予定です
万一 更新しないときはパソの入院とご承知くださいね

本朝は 名残惜しんでくれたのか お空さんは泣きながら見送ってくれた 標高900m以下では時々日が差していた 佐久平の明科から稲穂と雲に隠れた浅間山は違った風情があった 

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07 私の散歩道(11)
07/10/05

夜半にぱらぱらと雨が降ったようだ 朝方は厚い雲の中だったが日が昇るにつれて晴間が続いた 風は間違いなく秋の風ですね 明日から親子4人と猫2匹で信州路に向かいますので 自生地と子供の森へ出かけた

サクラソウ自生地編
毎度ながらの苦言 こういうことが出来るのですからシーズン中 ロープから3mのサクラソウが見える作業をすべきです 血税の無駄使い××

子供の森編
森の地面は台風9号で菌が洗い流され 今は再生されて草ぼうぼう それでも猫の額よりも狭い再生されていない場所はあるからと森の中へ 5弁の小さな花が1輪見えた ところが・・・
ご覧でしたらメールください オリジナル画像をご進呈します

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07 足元の世界(14)
07/10/04

上尾運動公園プール脇森編
やはりキノコの種類が夏の取材分を入れて4種しかなかった 今日は初めて踏み入れた森の最北端ては古木が連なっていた この一帯は昔から里山になっていて シーズンになると土地っ子がこぞってキノコ狩りしたものでした それゆえ 古木が公園を為すものとして残されたのでしょう
幹の太さは 手作りのベンチやテーブルで測ってください

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この秋の宿題
07/10/03

先週紹介しました↑の画像は賃貸駐車場の垣根にあった  他人の有料駐車場のノリ面に花好きの向かいの洗濯屋さんは多種の花を植える そこで画像を見せてモッコクと教わった 

ところが 小磯洋子さんからメールで

先日、シャリンバイの画像が綺麗に写っていましたね。
良く目にしているものに、ハッとした美しさを感じるものです。


というので慌てて調べてみたら モッコクではなくシャリンバイでした
モッコクの花の付き方と果実の色が違っている 葉は良く似ていますが 検索すると 花は6〜7月に咲くと紹介されていますが 現実には今も花盛りです

シャリンバイ(車輪梅)の果実を鳥が食べるというので人間でも食べられようと 触ったら石のように固かった 種が大きそうで↓のバナナのようなキジュの果実も バナナのように皮がむけるか むけたら食べられるか今秋の楽しい宿題です


おまけ
日中のこの時間はリキ(オス・白黒) クミ(メス・三毛)はネンネの時間
ところが リキは身勝手で目覚めてはちょっかいを出す 眠いクミは仕方なくお付き合いする 睡魔に負けて頭を垂れると毛づくろいしろとリキが促す 起きている時間ですとしまいには喧嘩になる それを狙ったが睡魔に勝てないクミはおとなしかった その辺を動画でどうぞ 長いですよ
撮影はキャノン S5 ISの動画 640×480=362メガ これではパンクしますので 320×240 30フレーム=66メガになりますが これでも大きすぎますね 余裕があるから良いようなものですがHPではめったに使えませんね 

動画をせめて10メガ以下に編集するテクニックを至急習得しないと有限のHPでは そう度々掲載できませんね

お詫び

せっかくアップしたのですが 66メガはさすがに重たく ホームぺージビルダー10上のプレビューでは動きはスムースであっても HP上では動きが緩慢でしたので掲載をやめました 皆さん ごめんなさい

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ほれた女噺(下)
07/10/02

単なる柔らかい話だけではなく 貧乏人は麦を食えと喚いた池田勇人が総理になる前夜から終焉までの昭和史の一ページでもある二つの事件も添えてあります

自叙伝です 転載 盗用 引用を禁じます

スカウトした美女
平成19年

オープンの日にお祝いで駆けつけてくれた戦友Bが久しぶりでお金を落としに来てくれた。彼は10歳年上の細君が運営するアメヤ横丁に1坪ほどの店を構えるところに転がり込んで夫婦となっていた。なんだ〜 客は俺だけか、いつからだい?

7月も終わろうとしていた。オープンから足掛け3ヶ月、東京中の有名なキャバレーのナンバースリーまでを引っこ抜いて華やかに立ち上げたが、1ヶ月を過ぎたころからナンバースリーのホステスらが一人やめ、二人やめで、残った70人の冴えないホステスだけでは 朝鮮戦争終了で金片景気も消え 不況のどん底では客を引き止められなかった。

肩書きは社長でも、実権を私は持っていなかった。
当時は、キャバレーとするにはダンスフロアが60坪以上ないと許可されなかった。敷地はぎりぎりであった。そこで中央に60坪のダンスフロアをとり、余った部分の両側にボックス席を配置するがボックス数が少ないため、2階建てを吹き抜けにして、2階の両側にボックス席を設けていた。それで都合、6人用ボックスが20卓取れた。

戦前から水商売に関係していた共同経営者の戦友の勧めで始めたらしい。共同経営者の本当の目的は若い女の子の尻を追いかけるにあったので、渡りに船とばかり浅草国際劇場(松竹系、今はない)の向かいで経営した中華料理店を売り払っての転業であった。

(私が参加したのは、朝鮮戦争の好景気の最中に建築に取り掛かったところで戦争が終わり、そこへ不況になって物価が予定価格の倍になってお手上げだった。共同経営者の父親との関係で、息子を助けるつもりで経営参加を請われ、助べえ根性も手伝ってルート16号上で米兵相手の洗車場を売り払って 不足分は私の叔父に出してもらって参加したもの)

共同経営者の戦友の知故で、銀座三越の裏にあった日本一のキャバレーミマツの副支配人五味氏を引き抜いて、五味氏の指揮で都内のすべてのキャバレーのナンバースリーまでのスカウトと相成って賑わったのであった。

共同経営者の戦友は子分(軟派系)を一人連れて副支配人として君臨していた。本職の五味氏とは意見が合わず、ついに五味氏がやめて、後を追うように優秀なホステスが抜けていったのであった。残った経営団は素人集団、といっても共同経営者は若い女の子の尻、私は実権がない。なるべくしてぺんぺん草が生えたのであった。

これじゃ〜しょうがないね、他のキャバレーを見ているか? 見てない、それじゃだめだ、これから一緒に新宿のキャバレーに行こう、そこではどうやっているかを観察するといい、俺がおごるからと戦友Bはそういうなりぐずぐずしている私の腕をつかんだ。

彼は、来慣れていると見えて指名していた。現れたのは、163センチ、美人の芸名を越路??。ころあい良く越路から踊りましょうと手を引かれ、フロアへ。構えて一歩踏み出しただけで、うわ〜すごいのね。

すごいはずだ。社交ダンス教師の免許を持ち、ショーが雇えないので
私のダンスショーを毎日繰り広げているのだ。

支払いの段になったら戦友Bの持ち合わせが足りない。私は私で彼がおごるものと手ぶらで来ているからどうにもならない。そこで名刺を出してこういうものだから万一の場合は私が責任を持ちます、で切り抜けた。

五味氏の紹介で地方にある江戸時代からの酒屋から取り寄せて、40万円も支払いが滞り、全身刺青だらけのやくざに乗り込まれ、五味はおるか、とすごんだ。それを私一流の技(借金取りならそれらしく、喧嘩なら喧嘩でもいい、こう見えても片瀬は加藤一家の身内のものだ、人集めなら負けはせん。片瀬の加藤一家とは現在の稲川組の前身。口からでまかせで啖呵を切った)で追い払い、その夜のうちに酒店の名代が詫びを入れてきた。

名代の話では、酒店の店主は、博徒の親分、名は武井敬七、組織は武井組、全国に知れ渡った大物博徒である、私は軍隊時代の上官で戦後食客として迎えてくれたと教えてくれた。子分から報告を受けた親分が激怒して張り倒した。子分は手柄たてのつもりだったらしいと。親分か私をお詫びに。それを聞いて私は直情的に、10日ごとにビールを10箱、それは現金で、つけはその都度現金1万円で返済することを承知させた。

これを聞き及んだ共同経営者の戦友の副支配人と子分が青ざめたのを見て取り、即座に解雇を言い渡した。会計までは握らなかったが、実権らしきものは握った。私のすごさを共同経営者は父親から聞いているので借金から開放されたこともあって、以後は私への給料もきちんと出すようになった。ようやく社長らしくなったのだ。

 余談
全身刺青だらけの男は武井親分の一の子分、キャバレーがつぶれた翌年のS29年に銀座で【大津カービン銃事件】というのがあって、犯人大津が、俺のバックには大きな組織があるんだと吼えていた。その大きな組織とはこの全身刺青男を指し、そのために武井組の幹部連中が逮捕されて調べられたという。結局関係がないことがわかって誤認逮捕から開放された。

廃業後も武井さんとは付き合いがあって、幾度となく江戸時代からの酒店に招待してくれたときに苦笑しながら語っていた。表に出ない裏面史です。

この時、あなたの度胸のよさにほれたんですよといわれた。加藤一
  家の身内が嘘であ
ることは知っていたのだ

  武井さんは185センチ、タコ入道、剣道6段、佐藤栄作元総理とつな
  がる、S37年に政治結社を持つ、2年後に千葉県中山法華寺の
   大僧正に収まる、法華寺の借金を整理したことから前大僧正の死の
   間際で全門下の目の前で『中山法華寺は武井さんのおかげで今日
  がある、わしの死後は中山法華寺を武井さんにゆだねる、皆も支え
  てやってくれ』という遺言を残していたそうだ。ところが 本物の坊さん
   たちが、やがて不満がつのって騒ぎになる。それを読売新聞が『博徒
   の親分が大僧正とは何事か』と叩いたのは有名な話であった。
 ★★

8月の頭に越路から電話で支払ってくれないと泣きが入った。それでは私から催促しましょうと丁重に詫びておいた。だが、戦友Bには伝えなかった。半月後また越路から電話、支払いはまだないという。そこで私の頭の中でひらめいた。

この件を利用して越路を引っこ抜けないか、これほどの美人が一人だけでも店は繁盛する、よーしと、越路に告げた。あなたも大困りでしょう、私が立替てもいいのですが、彼の名誉を考えると差し出がましいことはできない、もう一度伝えておきますね、それでもだめでしたら私がお支払いします、よろしいでしょうか? 越路は何度もなんども礼を述べていた。実はここまでの間に越路の母性本能をくすぐっていたのだ。この支払保証発言で越路の心は変化したはずと自信はあった。この件に関し、共同経営者夫婦には、そういうわけで支払いを利用して越路を引っこ抜くから費用の用意をと促した。

越路の半ば泣き声が受話器から漏れていた。長いこと申し訳ありませんでした、こうなっては彼の名誉はどうでも良く、私がお支払いしましょう。そこでお願いなんですが、一日お休みをいただいてこちらへおいでいただけませんか。お支払いもさることながらお詫びのもてなしをさせてください。断るかと思ったが、弾んだ声で承知し、期日も決めたのだ。

共同経営者の夫婦はもちろんのこと、コックと5人のボーイには告げておいた。全員がその日をわくわくしながら待ちわびた。

16時に越路が来る日である。銭湯が開くのは15時であるから間に合わない。少しだけ足を伸ばして上野広小路の銭湯「燕湯」へ出かけた。

ここは江戸時代からの老舗、午前4時から開店している。縦長の湯船が2槽になっている。手前は足を入れただけで真っ赤になるバカ熱い浴槽。それを生粋の江戸っ子が、ウォーーいい湯だ〜とうめきながらどぶんとつかる。それでいて、30秒ほどで慌てて、いい湯だったと叫びながら上がるのである。江戸っ子の負け惜しみとやせ我慢はまるで漫画だ。ほとんどが同じようにするのだ。そうしないやつは江戸っ子ではないといきがっていた。これも江戸時代からの伝統らしい。体はゆでたこのように真っ赤だ。たこを熱湯に入れると真っ赤になる、あれだ。

いつもより念入りに磨いた。ポマードでリーゼント頭がぴっかピカだ。人相は悪いがキャバレーの社長らしく最上の服のおかげで、さまにはなっていた。しかし、たかが26歳では貫禄はない。

店に戻ると和子と少し馬鹿のボーイが心配そうに出迎えてくれた。和子は自分のことのようにそわそわしていた。事情は和子に話しており、越路からの電話を受けるのは和子、それに和子は越路との電話のやり取りで人柄を知り、自分が果たせなかった思いを越路に託していたと、やめた後で現状報告に来た和子が述懐していた。

共同経営者夫婦はいないほうがいいだろうと、彼は女の子の尻漁りに、
細君は多分、後輩の高校教諭とデートだろう。

コック長に夕飯のメニューを、貧しい家庭料理より少〜しだけましなものを指示した。

大事な方なのにいいんですかとコック長は怪訝そうな顔だった。作戦だよと言いおいた。

社長〜越路さんがおいでになりました〜少し馬鹿のボーイが叫んだ。
フロアに下りると初対面とは思えないほど和子と越路は和気あいあいだ。
和子は甲斐甲斐しくコートを受け取って、あらかじめ決めておいたボックスに案内した。

2週間後は赤い羽根の日だ。空気が少し冷ッケェ。
少し馬鹿のボーイは蒸しタオルを広げて越路に差し出す。
ボーイたちが申し合わせていたのか、入れ替わり立ち替わり一品ずつ運んでくる。

連中、品定めだなと気がついた。

和子が封筒を持ってきた。
未払い分の1万2千円と私からの心ばかりの詫び料ですと差し出した。
詫び料なんて、差額の5千円を見て越路は慌てて戻した。
私は唇に人差し指を当て戻すよう促すが越路はゆずらない。
そこで顔の前に両手を合掌して、お願い! 越路はようやくバッグに入れた。

当時、商社の部課長クラスの月給が8千円前後。飲み代がいかに高額だったか。
越路の負担がいかにきつかったか。詫び料は鯛を釣るエビだった。

食事の用意ができたと2階席に移った。
まさしく家庭料理に毛がはえた程度だが、7品もあった。コック長のラッキーセブンか。
にくいね。

申し訳ない。ぺんぺん草が生えた店ですのでこんなものしかもてなしができません。
それにしてもいいなあ。1年ぶりですよ、女性と相対で家庭料理は、あっ、すみません勝手なこといって。

そういいながら私は越路の顔を子羊のような目で見つめた。本当は眼光鋭いのだが。越路はもう喜ぶ以外にないような顔であった。

実は私ね、3人の子がありながら無責任なものだから逃げられてね。子供たちは向こうが引き取って。

越路も語りだした。私とおない年の大正15年生まれ、子が3人いて亭主に逃げられているとか。

偶然とは言え奇遇だった。と同時にやばいな、垣根を用意せんといかんなと思った。

もったいないことするやつもいるんもんだと舌打ちした。もっとも、大正15年生まれの寅年の女は気が強く、手を焼くのも事実である。それに、婚姻相手となる男らは兵隊に取られ戦地へ、戦死したものや、シベリヤに拘留されていて男日照りでもあった。

不思議な縁ですね。そういわれて越路の顔は上気していた。ここまでは私のとっさの作戦。もう越路は水に浸かった麩になっていた。

突然音楽が変わって点呼用音楽になったと思ったらフロアから一斉に拍手が鳴り響いた。見やると、さらに減って、今ではホステスが30人になっていた。不思議なことに住み込み数は減らない。つまり売れないホステスしかいないということなのだ。

これを仕組んだのは多分、少し馬鹿のボーイだろう、それにしても粋な計らいだ。私は越路を促してフロアに下りた。従来の点呼は副支配人の子分が暴力的な言葉で行っていたが、解雇した以後は私が代わった。

みんなに紹介しますね、新宿の○○キャバレーの越路さんです。今日は私の無理なお願いできていただきました。もう一度拍手で迎えてくださいね。拍手の嵐の中で越路は完全にとろけていた。

それでは、いつものように。
美貌〜と色気で突撃だ〜(唱和と拍手で解散)

簡単なのね、これなら疲れず、気が散らないわね、越路は感心していた。

社長! いつのものをお願いしま〜す、越路さんとで〜 
ホステスらから声がかかった。

私のダンスショーでは専属パートナーがいた。そのために他のホステスらは一緒に踊るのを羨望していた。辞めていったホステスの中で、社長と踊れたら死んでもいいと言い出す子もいた。そこでその子の希望をかなえてやったらその翌日からやめてしまった。死ぬとはこういうことだったようだ。それゆえ間違っても他の子とは踊らないように努めてきた。そのパートナーを見やると一緒にはやし立てていた。
さすがはナンバースリーだけのことはある、怖気ず受けてたった。

私のステップは無手勝流、そのときの雰囲気によって組み合わせが違う。それと自分流のステップが主であった。なれていないとついていけない。そこで恥を掻かせないよう、通常ステップで4種目の各1曲ずつを踊った。

越路から、和ちゃんに聞いたのですが、すばらしいダンスだそうですね
(多分、電話があったとき早出のパートナーとのレッスンがあって、電話を待たせたときかもしれない)是非ともお見せくださいね。そこでレコード係りの和子に指を1本立てた。指1本はトロット、しかも、パートナーとは離れていて、タップを踏みながら接近して組み合い、チョー快速ステップで飛んだり跳ねたり、1本橋をカニ歩きでマシンガンのように通り過ぎるステップ。終わると次はチョースローテンポのブルース、変則技のクイックが一切ないステップで、フロア上をスケートのように滑っていく。ワルツが続き、ヨーロッパ風のタンゴという構成であった。4曲も踊ると疲れが一度に出るほどのハードな演技であった。


私の色仕掛けと全員の家庭的な雰囲気に接したことが重なって、多分、この作戦は成功した思われる。

上野駅まで送って別れた。

三日後に、点呼1時間前に前触れなく越路が現れた。ここで使ってください、というのだ。まさか、口説いてもいないのにこんなに早いとは想像もしなかった。和子も少し馬鹿のボーイも、やった〜と大騒ぎだった。ともかく、共同経営者夫婦に引き合わせて、点呼では全員に告知した。店内が急に明るくなったように晴れ晴れとしていた。点呼後の2時間ほどで越路指名の客が現れた。客も連れてきたのだ。越路はテキパキと他のホステスを入れ替わり立ち代り入れ替えていた。売り込みもはじめたのだ。連日指名する客が来ていた。とっさに考え付いた作戦がこうも効果が出るとはワシも捨てたもんじゃないと鼻が高かった。

それからが毎日大変だった。古い客も新規の客も越路に夢中になってくれた。越路の立ち振る舞いはもうマダム気取りだった。これを見た尻追い男の細君が、しっかりつかんでね、と意味ありげに耳打ちしていた。たしかに、越路が来てからは活気に満ち溢れていた。このまま何事もなくいってくれと心で祈った。と同時に、あの美貌、それにしなやかな立ち振る舞い、サービスについてボーイたちへの指示、ホステスたちへの配置など、もうママさん並であるのを見て、いつしか、私のハートでなにやら不穏なさざ波を立てていた。気がついた時には毎晩のように上野駅まで送っていた。

この夜はなぜか越路は終電車に乗れずにいた。越路の作戦なのか、それとも私の卑しい魂胆で引き止めたのか、残念ながら今となっては思い出せない。ともかく、越路は泊まらざるを得ない状態にあるのは間違いなかった。店の後片付けが終わった深夜の1時半に、後に黒門町にある旅館のムコ殿に納まったボーイに近所の旅館を探してもらい、そこへ私が案内した。玄関で別れるつもりだったが、越路に懇願されて、私にもスケベ根性があったのか、部屋までついていった。

この近辺は、修学旅行を主たる業務にしている有名な上野駅前旅館街であった。シーズンが終わると終電で帰れない酔客を取り込むために深夜営業もしていた。この旅館の男衆もわがサラトガの顧客ですから顔なじみで玄関を閉めるのを待ってくれるという。

部屋に入ったのを確認して帰ろうとすると、越路はもう少し話しして行って〜と懇願した。玄関を閉める時間があるから少しだけね、私は腰を下ろした。越路はてらいもなくゆかたに着替えた。色香漂うプロポーショーンのすばらしい肢体だった。越路は着替えると布団にもぐって、寒いから布団に入って、ね。

私は正座に座りなおして諭すように語りだした。
無定見の無責任男、商才もなく、すでに映画館や喫茶店で失敗している。洗いざらい不適格男の実例を並べ、店の状態では何時つぶれるやも知れない、そうなったとき、もしかすると6人の子供を育てる羽目になることもあろう、そうなったら私には荷が重過ぎる。店の構えで私を過大評価していると思うが、間違いだ。共同経営者がいて、私にはままならない。悪いことは言わない、私のことは忘れてほしい。それだけいって私は越路を残して立ち去った。

妙な気分だった。我ながら残酷さにさいなまれた。
このままではすまないだろう。据え膳を食わなかったのは、越路に恥をかかしたともいえるのだ。案の定、翌朝、越路は現れなかった。やはり恥をかいたと立腹したのだろう。自分の軽さに腹をたてただろう。相手から求愛されたわけでもないのに勇み足だったと悔やんで消えたのだろう。

私の心の中で不思議な現象が起こった。なんとも言えないやるせない気分なのだ。

とうとう点呼にも現れなかった。翌日も翌々日も現れなかった。もう膜引きは間違いないなと思ったら力が抜けた。こんな気分になるのであれば受けとけばよかったとも自戒した。しかし、とも思った。わしのこの体たらくな性格では破綻は目に見えている、これは保障できると。

4日目も来なかった。何時しか私の指はピアノの鍵盤に触れていた。音が出ていた。その旋律は賛美歌の【日暮れて 四方は暗く】であった。侘しく暗い旋律で、今の心境にぴったりの旋律であった。そうです、まじめであれば私で4代目のクリスチャンであるのだ。無残な戦争をしていて神もなかろうと入隊してまもなくきっぱりキリスト教から離別していた。賛美歌のせいではないが、7日目に越路は出勤してきた。私には一言もしゃべらず、それでいてテキパキと従来の立ち振る舞いであった。閉店後、毎日のように日暮れてを鳴らす私に見向きもせず、挨拶無しに帰って行った。かれこれ半月は過ぎた。

あることに気づいた。やくざの一団が毎晩来るようになった。越路はその中で売り上げを伸ばしていた。越路が連れてきたのか、はたまた偶然で、美貌ゆえに一団がとりこになったのか。そして、これ見よがしに越路は一団の親分と思わしき男に品を作っていた。これでもか、これでもかという風に取れた。一週間も一団は来続けていた。5日目ごろから越路は親分と腕組みして閉店前に一団と立ち去るようになった。とうとう私は切れた。今頃、肉体の門か、嫉妬めいた気持ちもわいていた。これもおかしいのだが、ともかく切れて、日暮れても消えていた。

少し馬鹿のボーイが、社長、あの一団は浅草の○○組みですよ、越路さんを取られるよ、と忠告してくれた、が、私にはどうでも良かった。
(やくざの一団は大体7、8人で来ていた。今思うと一週間も来続けるのは腑に落ちない。もしかすると 武井さんの息のかかった組で盛り立ててやれと命じられたのかもしれない。任侠道の教本みたいな人物だった。ツケの40万円のうち29万円を放棄してくれていた。)

元はといえば、キャバレー再生のために、戦友Bのツケけを利用して越路の母性本能をくすぐって引きぬいたもの、それが別方向に進化して、セミヌードまでしてくれたのに、触れずに帰る大恥をかかせたのだから非はこちらにある。それに責任がもてない以上やむを得ないのだ。

越路はとうとう消えた。消える最後の夜、和子に社長をよろしくねといったそうだ。

そうだったのか、これ見よがしの振る舞いは私を怒らせ、あるやも知れない情念を払拭させてから消える手だったのか。飛ぶ鳥跡を濁さず、見事な終幕を演じたものだ。逃がした魚は大きいというが、肉体の門でいえばそうだろうが、再婚問題では生き地獄を見ずにすんだともいえる。

暦も師走に入り、人々はコートをまといだしていた。和子が言うには、時々越路がすぐ先のおでん屋に来ているらしいと。先日も呼ばれて、社長、元気?と気にしていたよ、だった。

短い2ヶ月であった。越路にとっても、私自身にとっても、私のとった道は正しかったと思う。

後記
以上が、甘酢っぱい思いといえるかも知れないたったの1件です。これも「ほれた」といえるだろうが、深層心理を掘り下げると単なる肉体の門的欲望から発したもの、飢えていたからね。あるいは、ウィンドショッピングで、もたもたしているうちに他の者に買われて悔やんでいる図に等しい、だけかもしれないのです。それほど私は冷血漢でした。

健在であれば17歳の和子は70歳、、越路は私同様の81歳。

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ほれた女噺(上)
07/10/01

自叙伝です 転載 盗用 引用を禁じます

今日も09時頃からボツボツと降り出し 冷えびえだ 29日のシトシトと 昨日前半のシトシトが本降りになって総雨量は40,5ミリにもなった 取材に出られないので柔らかい話で暖を取りましょう

05年度の7月分の中でプラチナダンサーズがあります 有名な振付師のカオルコさんの企画に参加するよう勧めてくれたのが 女流講談家の田辺鶴英師匠 師匠はプログラムの中でカオルコ伝の講談と別メニューのダンサーの一員でもあった その過程で ネタにと色話はないかといわれて2、3篇送ったが意にそわなかった 最後に ほれた女噺がいいなだったが 私がほれた女というとほとんどないなぁ 心底好きだ〜という気持ちになれない 女を見ると好きにはなるのだが それはウィンドショッピング的なもの 無理して手に入れるが すぐに飽きる、あれに似ている 

若いときは女の前では震えが止まらないし 紳士ぶって接するものだから狼に変身したら嫌われやしないかとびくびく それにS26年末に離婚していたので結婚恐怖症もあって気持ちはあっても我慢の子だった

41歳になって縁あって16歳若いのと遊びのつもりが相手が本気になって結婚と相成った 単に若い それがストレス解消に過ぎなかったが 考えてみれば16歳違いはかけがえがない金星ではないか で 決心した 機転が利いて甲斐甲斐しくしてくれる 達筆の上に 何をやらしても即プロ裸足になる 探偵然り 写真に至っては即刻プロ並みだ これでいて私はほれた心境にない ほれる(愛)とは何か 今もってわからないのだ

その私がほれた女噺が書けるわけはないが 惜しいことをした二つの過去を題材にしてみた これも意に沿わなかったようだ メールでなく 師匠の掲示板に投稿したのがまずかったかもしれない で 私の別の柔らかい話のHPに転載した 場つなぎとしてここへ転載することにした

戦友の女房と愛人

平成19年

当たりかまわず大声で誰かが私の軍隊時代のあだ名を呼んでいる。
普通の人間には朝であろうが、こちとらは真夜中なのだ。聞き覚えのある声だなと2階の寝室窓越しに表を見ると戦友Aであった。

彼は、上野のアメヤ横丁にあるパチンコ店の支配人。私に用があるときはいつもこの時間で大声を張り上げるものだから隣近所の商店は私のあだ名を知ってしまった。

私のキャバレーは、上野駅前の昭和通を越えた1本目の5m幅の通りの、そのブロックの中央にある。店の2階を2分した事務所と私の寝室に、もう半分は共同経営者夫婦の居宅になっている。

戦友Aの隣に若い女の子が控えている。しぶしぶ二人を店内に入れる。

昨夜の喧騒とした雰囲気はなく、暗く、そして酒臭い。

えらいことを彼は持ち込んできた。
若い女の子は彼の愛人。事情があって預かってほしいというのだ。預かるといえば手をつけてもいいのか? 女の子はびっくりしていた。冗談無しで頼むよ、ということで預かることになった。

女の子は17歳、160センチ、太めでぺちゃパイ、つぶれた鼻ながら愛嬌のある可愛い子である。名は和子。共同経営者夫婦と話し合って住み込みで欠員しているクロークを担当してもらうにことになった。これが朗らかで愛想が良いものだからホステスより来客の人気者になった。

時々暗い顔をしたりしている。理由は彼が会ってくれないという。いいじゃないか、何時までも愛人というわけにはいかんのだら再出発のチャンスだよ。これ以後、見違えるように良く働いてくれた。私は鈍感ですので気がつかなかったが、何時しか私の身の回りの世話をしていた。

私も離婚から7ヶ月経過していた。
離婚前まで入れると約1年半もご無沙汰している。

今でこそホステスの半分に逃げられているが、それでも70人もいる。住み込みも12名いる。選り取りみどりであるが商品(ホステス)に手をつけないのが不文律である。とはいっても毎晩完全ヌードショーもしている。26歳の私が平静でいられるわけはない。

それとの格闘のさなかに和子はいた。しかも、身の回りの世話を自発的にしてくれている、飛び掛る欲望の手はのど元を通り過ぎようとしていた。しかし、無責任男の私では養う自信はない。すでに、血肉を分けた3人の子を不遇に落としている、更なる不遇は重ねられないのだ。加えてニワトリではどうにもならんのだ。否、ニワトリならまだしも、震えて役に立たん確率が高いのだ。

思い切って和子に、
ワシの世話はしないていいよ
ときつく言いつけた。べそをかいていた。
客の中にはまじめでちゃんとしたのがおる、それに目をつけろと諭した。

和子は、当店のやくざ崩れの少し頭の悪いボーイに私の世話をするよう言いつけていたらしい このボーイは私を慕っていたのだ。

後に和子は韓国系信用組合の営業課長と結婚する。荷が下りた。

チョー華やかな女が尋ねてきた。戦友Aの細君であった。彼女らは今も厚木基地近くの元高座工廠宿舎跡に居住し、私が東京に来るまでは度々あっていて顔見知りであった。細君は、厚木貴地のGIを相手にしていた元パンパンであった。だから、ヤーンキー風ないでたちを得意としていた。亭主会いに幾度か東京に出るたびに尋ねて来ていた。和子もいたが、お互いが存在を知らなかった。

今日は何度目だろうか、宿六が見つからないとかで東京を案内してとせがまれた。断る理由もないので上野周辺をそぞろ歩きしながらおいしい食事もした。が、帰ろうとしないのだ。彼女の理由付けは亭主に逢うからだと。予定もないので付き合った。元パンパンなものだから平気で私の腕を抱えたり、手をつないだりしている(S27年当時では男女が街中で手を繋ぐのはまだタブー)。悪い気がするはずもない。とうとう、夕闇が迫ってきた。彼女はさらに大胆になって、私の体を抱きかかえるようになる。これは男がするものなのだがと、そこで始めて彼女の心中が読めた。

据え膳食わぬは男の恥というが、この際、あえて恥をかくことに決めた。

なぜなら、ある軟派系のやくざから教わったことに、知人友人、向こう三軒両隣の細君には手を出すな、があった。

しかし、私の心の中は格闘していた。頂けの声と、だめだの声である。

暗い上野公園のベンチにいた。S27年の上野公園には街灯は5、6本しかなかった。

暗がりの中で彼女は私に寄りかかって唇を突き出した。

私は彼女のおでこに中指をつきたて、悪い子だね、ワシも飢えてはいるが、あなたの好意は大変にありがたい、あなたが見知らぬ人であれば喜んで受けるが、A君を裏切ることはできない、なんて腹にもないことをべらべらと語ったが、何を語ったか今は覚えていない。26歳の若さで空元気の見得を切ったものだ。

とうとう、牛魔王ちゃん(私のあだ名)は牧師みたい。
で、彼女は帰路についた。

ああ、二つも、もったいないことしたなと後で後悔し、飲めない私がその夜は焼けビールをあおった。飲めない私が飲んだことから和子は心配していた。

戦友Aの細君は2度と現れなかった。

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