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サクラソウ1月(前)

 1月の目次 
 関東は穏やかな三が日  
 松の内の散歩  
 氷点下2.2度の早朝風景 
 野焼きは今週または来週  
 ホームページビルダー11が・・ 
 冬の最中 乾燥しない現場 
 野焼き断念 仮払い開始 念願 
 情報違いでした 
 ねじれた天然記念物管理理念 
 野焼告示 サクラソウも発芽 
 野焼(正式用語は草焼き)風景 
 田島ヶ原サクラソウ自生地の歴史 
  

田島ヶ原サクラソウ自生地の歴史 1
08/01/16

田島ヶ原サクラソウ自生地の歴史を正確に認識しないととんでもない方向に流されます 不勉強で自生地の歴史本があるのかどうかわかりませんが 国の指定特別天然記念物として認可を受けるための申請書が唯一の歴史書でしょう

天然記念物調査報告書

旧浦和市【さくらそう通信】5号 1998.2.27より抜粋転載

  特別天然記念物 田島ヶ原サクラソウ自生地 天然記念物指定七十周年記念 論文集 浦和市教育委員会発行 の3〜4頁に全文あり

桜草ノ自生地ニ関スルモノ
大正九年五月 史蹟名勝天然記念物調査報告書
理学博士 三 好   学

(青木注=旧浦和市教育委員会発行の『さくらそう通信』5号(1998.2.27)に三好学(旧字体)理学博士。(1862.1.41935.5.11)の経歴があります

明治22年(1889)東京帝国大学(現東京大学)卒。大学院の途中でドイツへ留学。ライプチヒ大学で植物生理学を学び、帰国後は東大教授として学生の指導にあたるかたわら、自らも幅広い研究を続ける。著書も多く、専門書から随筆集まで多岐にわたり、ヨーロッパの植物学を紹介する著書に「植物生態学」という造語をはじめて用いている。  

明治39年(1906)に天然記念物保存の必要性を訴え、その後は内務省の天然記念物調査会委員などに就任し、天然記念物保存の立法化に尽力した。
参考資料 「現代日本 朝日人物事典」 朝日新聞社    

大正9年5月天然記念物調査報告桜草ノ自生地
所在 埼玉県北足立郡土合村字西堀、関並ニ田島ノ一部 (民有地) 
地籍 約4町歩

土地の状態 (荒川の特殊性)
東京市ヲ貫流スル隅田川ノ上流ナル荒川ノ沿岸ニハ古来桜草ノ多ク発生セル原野アリ是等ノ原野ハ屡々河水ノ氾濫ニヨリ泥土ヲ蒙ムリ養分ニ富メルモ平時ハ地面乾固シ亀裂ヲ生ゼルヲ見ル土壌ノ状態普通ノ原野ト異ナルニヨリ従ッテ植物ノ群落ヲ異ニシ其中最モ固有ナルハ桜草ニシテ仲春ノ頃ニハ原頭一面紅花ヲ以テ飾ラレ之ト交リテ黄色ノ野漆、紫色及ビ白色ノ菫、紫色ノ丁字草、紅紫色ノむらさきけまん、やぶえんごさく、黄金色ノひきのかさ等花ヲ開キ恰モ天然ノ花園ノ如ク一大美観ヲ呈ス
夏時ニハ植物ノ群落一変シ且チガヤノ発生盛ニシテ高サ人長ヲ超エ秋ニ至レバチガヤ刈リ取ラレ原野ハ再ビ裸出シ明年桜草ノ発生ニ便ナリ――

(付記に地権者らの要請で調査した大正五年四月下旬の様子とあります)

96年前ですでに平時ハ地面乾固シ亀裂ヲ生ゼルヲ見ル土壌ノ状態普通ノ原野ト異ナルと定義しています これは現状と変わりません

御覧のように田島ヶ原サクラソウ自生地周辺は滞水できない地質です


田島のサクラソウはこの乾燥状態に順応して 他のサクラソウと異なった進化を遂げたと考えるほうが妥当です

平時ハ地面乾固シ亀裂ヲ生ゼルヲ見ル土壌ノ状態普通ノ原野ト異ナルニヨリ従ッテ植物ノ群落ヲ異ニシ

三好学博士が言うように これが田島ヶ原の歴史なのです

ところが

田島ヶ原は湿地帯だった

なるデマを飛ばすものがいて このとんでもないデマが既成事実として定着し 余計な作業で サクラソウの丈が往時の半分の17cm以下になっています

次回はデマの根拠を論証します


余 談
情報源の情報は主観が混ざり正確を期することは難しい そこで 本日は過去の担当官に会って確認してきました その都度はさみます

自生地には13時半に到着 作業は燃え残りが多数あって 第二自生地に一人だけ残して実験園の草焼きに回ったようでした 13:37 川下の森の先から黒煙が上がった 位置から見て実験園だろうと 第二自生地で作業している方に尋ねる 昨年お会いした方でした この方から聞き及んだ話も折に触れて折り込みます 除草の専門家ですからね 洪水について 常識らしきことが いかに 出鱈目かびっくりしました

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野焼(正式用語は草焼き)風景
08/01/15

初めにお詫びと訂正です

保護課に対してきついことを言いすぎました 気持ちのうちでは 市民として誇りである自生サクラソウが個人公園化しつつあることに義憤が募って 保護課に矛を向けたものでした 

本日初めて出会った方から 写真付き掲示板に 天然記念物という文字よりも写真撮影者名が倍も大きいのは個人公園化だよという意見がありました うまい表現ですね そのいら立ちから保護課に噛みついてきたものです 

それにもかかわらず 現担当官の本日の内心はともかく 表面上では丁重に接していただきました 短い時間での語らいでしたが 建設的な意見交換もできました 特に成長調査について大事ではないかと意見を述べられましたが それはあくまでも結果であって 結果をもたらした諸因子を無視しているというのが私の見解です この件は 後日予告した内容に付随して取り上げます

訂 正
野焼告示 サクラソウも発芽記事の中で 
――11月の予定が 乾燥していなかったためにずれたと説明されたが それはおかしい なぜなら 予定を立てるのですから11月中に見ていたのでしょう――
青木さん あれは間違いです 野焼の最初の予定は12/15 その一週間前の観察でそういう結論になった
とのことでした ――11月の予定が――という記述も12月の間違いでした

謹んで訂正し削除いたしました

ご無礼を深くお詫び申し上げます

今後は彼への批判を終えた以後は 現実を踏まえた論文的に進めていきます

蝶の専門家の関口忠雄氏から野焼の様子を写した画像を送っていただきました が 一通目は届かず 二通目でB区の2カットです 再送され次第に挿入します
関口氏が到着したのは9時ちょっと過ぎ 9時半にA区から点火されたとのことです 北北西の風が弱く風下からの火付けで燃え広がりがなく 焼き漏れブロックがA・C区に多々ありました 私は午前中に商業撮影があって駆け付けた時はB区が燃え尽きるところでした Å・C・D区の経験を踏まえて B区では北東の風速2、3mの風を利用して記念碑付近からの点火で 十字路付近以外は一挙に燃え広がったようです 凄いのは焼き漏れを予期してか 刈払機が3台も出動して刈り取り すぐさまそれをご婦人がたが掻き集める清掃作業に間髪をいれず行っていることです この素晴らしい会社は大塚グリーンです
この分では作業は明日ですべて終わるでしょう 2、3m程度の風でもうまく利用すれば中央通路の奥にある細長いE区でも造作はないでしょう 残念ながら午前中は野暮用があって観察できませんが 終えた後の様子を丁寧にご紹介します

追 記
関口忠雄氏から5度にわたって画像の送信があったが ビスタに切り替えてから受信容量を最低から切り替えなかったために届かなかった 気がついたのが遅く 容量を上げてやっと受信に成功した しかし 画像内の文字入れがなぜか大文字にならないので 以下に掲載した撮影者は蝶の専門家の関口忠雄氏である

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ねじれた天然記念物管理理念
08/01/12

 天然記念物はサクラソウだけではない
 それでは花壇ではないか
 入ればサクラソウを踏むのは当たり前
 科学的根拠はあるのか
 国交省を(敢えて言う)ゆする

以上はここ3年来 さいたま市教育委員会文化財保護課の役人が国交省問題以外 私に述べたものです 逐一ねじれ理念を証明しよう

 天然記念物はサクラソウだけではない

天然記念物はサクラソウだけではない 自生地内の植物すべてが記念物だという ちょっと待ってくれよ 大正の初期に土合村の地権者が三好学博士に働きかけて天然記念物指定を求めたのは ありふれた武蔵野の花々ではないはずだ 自然のサクラソウを下流にあった自生サクラソウが明治20年で消滅したのは 来観者の持ち帰りや業者が大量に持ち去ったように消滅させないための懇願であったのだ サクラソウがなかったら指定どころか 立ち寄るものさえないだろう

確かに 三好学博士の大正9年に申請のために提出した調査報告書では
――荒川ノ上流沿岸地方ニハ今日尚桜草ヲ産セル処アルモ交通不便ノ為ノ観覧ニ適セズ比点ヨリスレバ前記ノ土合村内ノ桜草産地ハ浦和町ヨリ僅ニ一里ニ過ギズ且車馬の便アルヲ以テ名勝トシテモ保存スルニ適当ナル土地ト云フベシ――
誤解される文言があるが サクラソウがある故に
――名勝トシテモ保存スルニ適当ナル土地ト云フベシ――
といっているのであって これを曲解してすべてが天然記念物と唱えるのはおかしい サクラソウがなかったら相手にもされなかったのである

よしんば そうだとしてもだ 人々は 否 マスコミも含めて サクラソウが目当てである それを見たさに全国から大勢の人々がやってくるのであって そこらじゅうに転がっている植物のために 莫大な交通費や宿泊費を払ってまでは来ないことを知るべきです

現在のサクラソウは準天然ではなく増殖事業計画によって増えたのである そして 人々に見せるべき作業をしないで 一年の半分ほどをサクラソウにかかわりのない植生をいじり回している それでいて 天然記念物だからやたらといじれないと うそぶく

それだけではない 自生地になかった植生をよそから持ち込んで植えまくっている 最も顕著なのは ヒロハノアマナだ 生態系とかの団体と手を組んで左岸土手からしきりに移しこんでいる情報もある 天然記念物指定はサクラソウだけではないから そこらじゅうの植生を移植するのも天然記念物というのだろうか

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 それでは花壇ではないか

さて そうやって莫大な手間暇と経費を払ってきて見れば近くにサクラソウは↓の画像のようにあまり見かけない あるのは黄色のノウルシだけだ 来訪者の多くは異口同音に
この黄色い花は何とかできないかね
と言わしめている

↑の画像にある白線と柵の間(高枝鋏いっぱいの距離)のノウルシが10cmに延びたところでカットする ノウルシは切られても再生するが サクラソウを追い越すことはないから 来訪者たちへの観覧に供することができる提案に
それでは花壇ではないか
とのたまう

それでいて 前記のような移植は平然と行う 私の気力の関係で一か所に集められた植生を紹介するのは割愛するが 言うこととしていることが180度も違うのは役人の定石か 

↓の一角にあったサクラソウはほとんど耕されて ミツバチチグリを集めたのは花壇と言わんのですね


遠くにあるサクラソウと黄色のノウルシとの共演はおもむきがあるが↓

↓に見えるサクラソウは

やがて↓のようになる

白線内にあるサクラソウがノウルシに邪魔されて日の目を見ないのはごまんとある これでも 来訪者に対して
それでは花壇ではないか 天然記念物だからいじれないと言い切れるか

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 入ればサクラソウを踏むのは当たり前

前記のように 認知症気味の老委託研究員が女とペアでサクラソウをふんつけて移植作業の現場を大勢の方が見ていた その中で 野原博さんが証拠写真をメールしてきたことに対して

入ればサクラソウを踏むのは当たり前
と言い切った ならば 入るなと思わず叫んだ

入ればサクラソウを踏むのは当たり前ということは天然記念物を否定したことになる 役人のすることはたとえ糞でも玉石だとの証明である ゆえに↓が大衆の面前で平然とやれるのだ


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科学的根拠はあるのか

↓の話をしたら 科学的根拠はあるのかと詰問された
多分 役人根性丸出し(役人の仕事に口出しするな) 報告も出さないのに飼いならしている不甲斐なさ それを今持ってかばう心情から腹いせに発したと思われる 私が語った内容は次のとおりです 過去ログから転載

――平成13年から毎年のように刈り払い残骸残しがサクラソウに有害であると云い続けてきました 本年は 霜害予防の名目で4センチ前後の残骸残しをしているとしつこいほどに書いてきました それがどうでしょう 本日 なんと残骸を掻き出しているではないか サクラソウが5cm前後に育ってから掻き出すのではサクラソウ殺しに等しい こんな馬鹿な作業を命じたのはどこの誰か 血税を払っている一市民としては放って置くわけにはいかない

普段は何とか言えば 天然記念物指定地だから手出しできないと嘯きながらサクラソウ殺しを平然とやってのける神経を糾弾する さて 皆さん 馬鹿な現場を見てください
 
↑は昨日の様子 サクラソウは4〜5cmに育っている これを↓のように掻き出している
書きながら腹がたって保護課に電話をした 顔見知りの担当官が不在ゆえに 係長もしくは課長を出せと要求 応対に出たのは25年前に保護課にいて保護作業に汗をかいた方という 私とはすれ違いでお会いしていないらしい 思わずどやしたら作業そのものを知らなかったという 誰が考えてもおかしいという意見だった 思わず安堵 ↓は掻き終った様子――

私は 科学者ではないので科学根拠は知らん 第一 科学根拠とは何ぞや
田島のサクラソウでは 送分昆虫がいないので種子ができない やがて死滅すると大嘘の論を張って東大教授の座を射止めたインチキ者もいるのだ 学者だの科学者だのと称する連中はいとも簡単にインチキ論を展開し 盗用は日常茶飯事のご時世で科学根拠なるものは存在するのかね 

科学者ではない私は 毎日の観察を文字にして告知しているだけだ それも 主観的な文字ではなく 客観的な画像で構成している その画像も事実を証明するために年月日や日時入りにしている 新しいカメラは年月日時を入れられないから 入れられる画像を前後に挟んで告知している

その実態を再掲載しましょう

――平成13年2月の頭から自生地に入る。そこで目に付いたのがヨシとオギと雑草の刈り払いであった。それまでしていた野焼きではなかったのだ。しかも、残骸がじゅうたんのように残されていた。作業していたおばさん達に尋ねると、肥料に残せと指示されているという。思わず、そんな馬鹿な、であった。あんな度硬いものが肥料になるまで何年かかる?

サクラソウが地上に顔を出しても、この残骸を潜り抜けなければならない。それでは茎はモヤシ状になるだろうしエネルギーの消費で卑弱になるだろう、見る、撮るだけしか能がない私でも考え付きます。案の定、サクラソウは30年前と比べて丈が半分、花も3割方小さい。毎年見えられるカメラマン達も同じことを言っていた。

どれほど小さいかを、元高校教諭の大垣晃一さんがガーデンライフ・東京山草会」共編の『野生のサクラソウ』という本で、昭和52年4月20日発行の記事「サクラソウ作り5つのポイント」に葉の位置とおなじくらいの高さ、地表から20cmのところでとあります。

葉の丈は20cmあったのです。花穂はさらに10cmほどありますからサクラソウの全長は30cmにもなります。04年度で取り上げていますので参照してください。
  http://www.ettsei.com/newpage45.htm 
 04/03/29 やっとシーズンが来た〜

現状は↓の画像のとおりです。

平成13年は、気温が低くサクラソウの生長は遅々としていた。早いのは4月2日に開花していたが全体としてはさっぱりであった。ぎりぎりまで寒かったために咲き出したすべてが凝縮されたのか、色は濃いものであった。

そこへ、30年ぶりで磯田洋二氏(委託研究員)と出会った。彼は色が濃いことについて私と同じ感想であった。私はすかさず、
サクラソウが30年前と比べて丈が低く花も小さいね、それは8cm前後の残骸残しが原因ではないかな、サクラソウは地表に顔を出しても8cm前後のど硬い残骸をくぐりなければならないのだからエネルギーの消費でこうなったんでしょうね。
彼はそれに答えず黙って聞いていた。

 同年12月に自生地を訪れると刈り払いの最中であった。この年の発芽が3月15日であったために早めたのであろう。その際、残骸はできるだけ取れの指示があったそうだ。私の指摘に黙って聞いていた彼はしまったと思ったのだろうね。同14年も12月に刈り払い、残さずに取れと指示が出たという。いずれも請け負い業者からの話です。

 専門家と称する彼が、こうも不定見な行動に出る理由は専門家とはほど遠いからに他ならない。私が平成の現在から数えて35年前に見ていた彼は蕨高校の教諭で、4月のさくらそう祭りの期間中に生徒を動員して計測しているに過ぎなかったのである。1990年の記念論文集の編集員であった彼は川口高校の教諭、この間に教諭の職務を放棄して自生地に没頭は考えられないから、サクラソウに関しては無知に等しいといえる。学生の動員はS49年に打ち切ったのか同50年からは、おばさん達に代わっていた(記念論文集の写真による)。

 こんな体たらくであるから野焼きから刈り払いに移行するに当たって、彼は刈り払いの実験区と野焼きの比較をしていた。その結果は、刈り払いでもサクラソウは順調であったというので善しとしていた。ところが、刈り払い区でも確かにサクラソウは咲いたが、野焼き区との違いについては考察していなかった。平成13年の担当者の証言です。
むしろ、野焼きによる肥料が得られないから短絡的に肥料にと残骸残しを命じたのである。

 刈り払いに移行した平成11年から同13年にかけてサクラソウに死の行進とも言える8cm前後の残骸残しが弱小化と、白斑点病に至ったという認識もできないのである。体たらくのゆえんです。

 同14年と15年の残骸を奇麗に取れが功を奏して同15年では、サクラソウはやや大きめに育ち、花が白くなる現象も消え(遺伝ブロックを除いて)それはそれは見事であった。残念ながらこの同15年4月18日に私は急性喘息で救急車で病院に担ぎ込まれ23日間の入院生活を余儀なくされて見届けることはできなかった。

 同16年は、雨無しと高気温で保守的なサクラソウ(私たちは4月の花よ)をよそ目に、ノウルシ・ヨシとオギ・ノカラマツらが我が物顔にサクラソウを覆いかぶさってしまった。サクラソウも4センチ前後で開花し弱小化に拍車がかかった。

 この結果、委託研究員はまたも短絡的に肥料が足りないと見当違いの残骸残しを命じていた。

 同17年は、何時までも寒く、サクラソウたちは我が世の春とタカをくくっている間に、他の植生は、地球温暖化によって2ヶ月も進んだ気候にシンクロしてサクラソウの我が世の春を奪ってしまったのであった。

 同16年4月19日で
04/12/25〜本年3月30日までに8ミリしか降雨がなく、ノウルシもサクラソウも育ちが悪かった。このために一度も最高瞬間の予報が出せず、逆に悪い方の予報は正確だった。

 
同17年423日で
今年のサクラソウは悪いまま終局に向かっています。花の命は1週間程度で白茶けたり、またはしおれだしています。4月現在の降雨量は60ミリですので水分不足とはいえない。
原因は二つ考えられます。

1) 昨年の高温と雨無しで大半のサクラソウは弱小のまま生涯を終え、次世代のための栄養補給のないまま弱小または栄養失調に定着

2) 本年はそれに加えて肥料にと刈り払い残骸を4センチも残して発芽を阻害し、日の目を見たときは時機を失した
 

 以上のように2年続きで早々と情報発信終了を宣言していました。ずぶの素人の私がこれだけ考察できるのに専門家と称する彼はまたしても短絡的に、2年続きの不良原因は残骸を残さなかったことによる霜害であったと、霜害防止に地表をかぶして置けと命じたという。その結果が同15年との違いを浮き彫りにした。

04年 06年
 厚く重い残骸を潜り抜けると茎がモヤシのようになって弱小化すると同13年から言い続けてきた。が、一度もそれを実証しなかった。老委託研究員の老害がサクラソウの将来に危険信号が灯った今、明らかにすべく意を決した。それが↓の画像です。残骸がないとでは弊害は歴然です。――
↑の2カットはA区 ↓はB区 B区は平成17年12月の刈り払いの際 私に拝み倒されて業者が丁寧に刈り取った区域 この育ちの違いは一目瞭然ですね

さて 科学的根拠とは何を指すのか 以上の観察と実験の結果は科学的根拠よりマシとは思わないか 役人根性を潔く捨てないと世界の笑い者になる

このように返されて担当官は黙り込んだ

でも やっと保護課も目が覚めかかったらしい 情報源によると本年の作業日程について未だに連絡がないという 認知症気味の老委託研究員に対しても権限の縮小を図ったらしいという これでやっと自生地のサクラソウが昔日に戻れるのは近いぞ 喝采かな


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 国交省を(敢えて言う)ゆする

国交省が小洪水をせき止める治水工事を始めたことから それまで浦和市が毎年行っている生育調査を国交省に押し付けた いわば一種のゆすりですね 荒川上流事務所の責任者らしき方から 国交省が負担してくれというので当方で負担していると伺った

これを てっきり旧浦和市が押しつけたものと理解していたが 本日 情報源から違うよ 先生が押し付けたんだよ それも今年から国交省は手を引いてね 今後はさいたま市自身で負担することになったよ というのである


サクラソウ管理の中で最も愚かな作業が毎年4月半ばで行う生育調査です 認知症気味の老委託研究員は4年前 私が意を決して話しかけ質問した時に 俺は50年もかかわっているんだぜ だった 彼は自慢だろうが 私に言わせれば 私は脳なしです と告白したようなものだ

50年間 サクラソウの何がわかったというのだろう 旧態依然としたカビが生えた知識にもならない知識にしがみついただけではないか(後日 この点を明らかにします) 前出のような観察や記録はおろか サクラソウをふんつけて平然としていられるのは もはや科学者ではなく 単なるボケ老人にすぎないのだ

生育調査について 関係者からも 定点観測している場所は逆に減って 観測していないところでは増えているそうだ それは 私でも視認できる範囲内で認知している ↓の画像のこんもり部分は
平成13年に発見してから規模は変わらない サクラソウが勢い良く増える話は眉唾かとさえ思っていた ところが 平成14年に発見した↓は年々増えている
発見したH13年は中央の一角だけであった それが何時しか御覧のようになった それだけではない 見えていない画面の右手では散在咲きだがにぎわっている H14年に耕して植栽した場所以外では植栽を目撃していないので 自然咲きでしょう この一角はS42年当時にサクラソウはなく 管理していた梶山さんがD区からせっせと移植して定着したものです 平成14(02)年に植栽した場所のその後は広がりはしたが密度は薄かった↓ 
こんな調子ですから 成育調査はいかに無駄かがわかろうというもの ↑の画像のように各区画の一点だけ撮影しておけば済むことです 国交省が本年度から手を引いたのは賢明でした 大勢でこれ見よがしにしている調査風景はひんしゅくものです

まあ 私もあげつらうだけでは能がないので 彼らがやりたがらない全期観察をしているんですから日日のデータを屑かごに捨てられようが メールで送り続ける予定です

とうとう雨が降りましたね シトシトですが 本年は関東の名物空っ風がまだなく この雨はやがて来るであろう乾燥に耐えられる力を与えよう

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野焼告示 サクラソウも発芽第1号
08/01/13

昨日 名物空っ風がまだないと書いた途端に昨夜から強烈な北風が終日吹き荒れた 自生地でも立っていられないほどの強烈な瞬間風速であった 常時10m前後であろう 立て看板が立ち 15日(火曜)から21日にかけて草焼きするとあった サクラソウ第1号を発見しました
10日の ノウルシ 葉が開いた カットと明らかに違います 体長5ミリですからスーパーマクロでも撮りきれず トリミングしてやっと毛羽たちがわかったもの

こうしてサクラソウ発芽第1号が出たのですから 発芽は続きます それだけではない 昨年のアマナはすでに6cmほどに伸びていた 本年も同じであろう それを焼く もって不埒としか言いようがない サクラソウらに合掌

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情報違いでした
08/01/11

来週の火曜日に火をつけるということです 野焼きは大賛成です 昨年の台風9号で10何年ぶりの洪水という滋養に富んだ泥土のご褒美をもらうまでは 平成11年から仮払いに移行して土地がやせ細って 加えて 学者らしからぬ思考でど硬いよしず張りの材料を肥料にと大量に残させた付けが サクラソウをして芝桜に毛が生えた程度に衰えていたから 滋養供給という意味で大賛成です

ただ 残念だったのは 昨日の責任者さんが 野焼きでなく刈り取ります といったのは何故かですね こうなりますと 情報を受け取る場合 相手に失礼ではあっても念押しが不可欠ですね

昨日の作業手順についての解説は昨シーズンの作業風景から描いたものです
で この度の燃やし方はどうも 各ブロックの周囲を1.5〜2mに切り開いたのは 中央に向かって一気に燃やすためらしい 各ブロックことか あるいは全ブロックを同時に燃やすのか情報が錯そうとしています 川下から苦情が来なければいいですが 一応チラシは配布したようですのでトラブルはないと思います 

雨が来そうです そうなりますと濡れてダメとかで延期しようものならサクラソウを焼き殺す可能性は強まりました ノウルシが焼かれるのは歓迎ですがね 中央通路の柵近くにあるサクラソウを生き返らせますからね

今日の作業人数は 昨日手を振ってくれたご婦人と 責任者が言っていたアンチャンの二人でした アンチャンは刈払機の故障で取り替えに戻って留守でした それに残骸の取り去り作業がないので2人で間に合うのでしょう

余 談
幼猫を大事にする猫社会
トラのいる席は私の専用です ところが リキとクミもそこを欲しがる で 猫社会は男尊女卑ですからリキが占領していた それが絶対あり得ない状況が↑の映像です

リキが血の繋がりがないトラに席を譲ったのです トラの小さい時から網戸越しに接してはいた所為で身内的な心境なのでしょう 孤児になった途端にスンナリ受け入れた 他の猫が庭に入るとリキが凄い剣幕で威嚇するんですがね 私にも譲らない席をトラに譲るとは 幼猫を大事にする猫社会のルールなのでしょう その点 最近のこの国の人間は猫より始末が悪いね

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野焼き断念 刈り払い開始 念願叶う
08/01/10

7日の月曜日に文化財保護課に電話した際 現担当官が野焼きを今週か来週の予定という話に焼き方について私の考え方を述べておいた 内容の詳しくは↓のURLですが 一部抜粋して転載します
http://members3.jcom.home.ne.jp/sinsetsu/newpage1.htm#の

――11月29日のニュースで野焼きは無理か、ショックでした。

秋田では稲刈り後になると喘息患者が続出するそうです。どうも稲わらやもみ殻を燃やしたときに出る煙かもしれないと、秋田大学医学部で研究した結果、もみ殻のちりからエンドトキシンが含まれ、体内アレルギーを引き起こす【好酸球】を活性化させていた。もみ殻の煙からシックハウス症候群の原因となるアセトアルデヒドやホルムアルデヒドなどが検出されたそうです。どちらも喘息の原因だそうです。
こちらはヨシとオギとその他の枯れ草ですが、同じような結論が出るかもしれない。――


こんな話から ノウハウもないことだし 梶山式と言ったって大変ということで急きょ変更したようです

今日は幸運でした 念ため自生地に出向いたが さくらそう橋から見た限りでは
変化はなかった 虫が知らせるとはこういうことでしょうね 今日は狙うテーマがないので子供の森へ左岸土手沿いに行かず 自然に自生地に入り込んだ 管理棟近くの歩道上がやたらと汚れている 白いヘルメットも転がっている 遠くに刈払機らしきも見える 大男が二人やってくる うちの一人は顔なじみだ

そうです 07年1月↓で書いたグループの責任者でした

 http://www.ettsei.com/07newpage3.html#005
来年こそは全区域を皆さんのグループで担当するよう願っております 私も81歳になりますので来年まで生きていられるかはわかりませんが 再会を楽しみにしていますね

素晴らしい方たちと出会えたのが念願叶う意味でした 今年は全域担当だそうです 今日は3人のおばさんたちで同じメンバーでした その中の一人が遠くから手を振ってくれました 下の写真の右のご婦人です とにかく良く働くおばさん達です
相変わらず手際のいい作業風景です 刈り取るそばから清掃作業が並行しています 他のグループは刈りっぱなしにして すべて終えてから清掃するのですが それでは 刈りそこないを見落とします そこへ 認知症気味の老委託研究員から肥料に残せと指示されるから余計に汚らしい このグループの手際の良さを後ほど解説します
この刈り方には意味があります それも後ほど解説します この一角はノウルシやサクラソウが真っ先に発芽するフィールドです 案の定 ノウルシが頭をちょん切られていました
かたつむりです 40年来の野焼きを仮払いに切り替えた理由は 著名な学者が 野焼きによって益虫が焼き殺される 特にカタツムリは哀れだ というのがあったらしい バカバカしいと儀修さんは吐き捨てるように嘆いていた その話を平成12年に市役所で聞かされた私は翌年にかたつむりを発見して触ってみたが 殻だけで身はなかった ということから私も度々取り上げていた 上のカットも光線との関係で移動させていたが気がつかなかった 

それが15時過ぎに出直した際 かたつむりが動いた ええっ? 触ると吸盤がぬれていた と同時に引っ込むではないか 上のカタツムリを探したが見つからない ということは同じだったのか とにかく生きていたのだ 引っ込んだためにいい絵は撮れなかったが わかると思う
まれに生きていたのか また観察テーマができた
すっきりして見通しがいいね この時期 訪れる方々は地元が多いのであってもなくてもどうということもないが ↓のようにしたのでは売名行為と言われても仕方ないでしょう 見せる以上は両方というのが常識と思うが

手際がいい現場です
15時過ぎに出直したら初日の作業は終わっていた B区の周囲を1m半の幅だけ刈り取っていた A区は中央通路側だけ 明日は来れるかどうかは不明だという
この1m半の幅に 次の作業で先のほうから刈り払って倒します すかさずおばさん達がそれを抱え込んでいくのです そのための空間 一台目が中間に到着すると二台目が開いた空間に刈り倒します 実に無駄のない手順です と同時にきれいさっぱりとした作業です
先シーズンのノウルシの発芽の発見は06/12/29でした 今年のノウルシは長さからみて12月20日ころかもしれない

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冬の最中 乾燥しない現場
08/01/09

昨日の転送から今日までに二つの不思議な現象があった それはともかく タイトルの意図で出かけるが さくらそう橋の交差点で自生地に人影もないのを見て 左岸土手からピクニックの森を取材して自生地に向かった その順で記述します
第二の不思議 ↑を撮影して11分後に自生地で撮影するまで撮影はしていないのに↓のカットを編集で知った ↑と↓はともに11:54の撮影になっている 早撮りが身上の私でもこの構図を瞬時に把握はできない ↑を撮影後にシャッターに手が触れたとしてもブレブレのはずがシャープに写っている こういうことのために時間表示ができるとわかりやすいのだが

この地点から10m右先で37年前に首つり自殺があった 以来 32年間 このピクニックの森に足は入れられなかった 度胸はあるのだがなぜか避けてきた まあ それと関連性はないでしょうが あまりに不思議なので思い出しちゃった 見てください
ねらってもこれほど見事に写せるものではない
こういう不気味な話はS48年にもありました なぜかコピーができたので 一応この項の後尾に転載しました 怖いお話ですよ オカルト的なキノコのお話

↓がそのソースのURLです

http://members.jcom.home.ne.jp/3220568101/newpage17.htm

自生地編
↑は12:05の撮影 約3kを移動して撮影を終えるまでの所要時間は11分 あのカットはなんだったんだろうね
正午ごろから晴れてきた 久し振りで温度計で計ってみた 左はキャノンS5 12:30撮影
右はソニーR1 12:35撮影 時間差5分で1度上昇した

第一の不思議
昨日に書いた ビルダー11で更新転送すると足跡検索のアクセス権が消える話 11の奴ね 気にしたのが 何度更新転送しても異常がないのであった ↓はコピーして転載できました

オカルト的なキノコのお話

03/02/04

今から20年前(S48)の9月末、埼玉県所沢市にある西武鉄道車庫の西側に広がる森で野生キノコの撮影を終え、車庫と森の縁を添うように狭い道路から帰途についた。道路の両側を枕木の支柱に有刺鉄線が張られている。

ある支柱に目が止まった。急ぎ車をバックさせ、見やると拳ほどの瘤が枕木の上部にくっ付いている。今まで見てきたサルノコシカケとも違う妙な形であった。触った感じは硬いキルク風であった。新種発見と小躍りして撮影に取り掛かる。

時は、14時30分頃であった。瘤は森側の支柱に生えていた。長さ12cm、だるま状で広いところは6.5cmもあった。キノコとしては大きい図体だ。
が、明るさはフイルム感度との関係でぎりぎりであるがピントが中々合わない。どうやっても駄目であるので、あるところで妥協して撮影を終え、標本として採取に取り掛かる。これが中々の曲者で、枕木(クリの木)上部の割れ目に沿って生えているので裏から割れ目に梃を入れて押し出そうとするがびくともしない。

それでは、枕木の平面に添って中型ナイフで削り取るのだが、まるで歯が立たない。ではと、山に入る時の常備道具であるナタで枕木を削るようにして叩くが跳ね返される。
大汗をかきかき、あたりが暗くなった頃にようやく取り外すことができた。

やれやれと、思わず前方の奥に目が行った時、この森の所有者一族の墓所が30M先に見えた。ふっと我に返って、そうか、枕木ということは鉄道事故に関わっているのかな?

墓所の目の前でナイフやナタを振り回しちゃった、そう考えたら薄気味悪くなったので、墓所、枕木、キノコに通りすがりの人でも聞こえる声で、ごめんなさい、悪気があってのことではなく、学術的に必要だったので痛い思いをさせました。と謝ってしまった。

当然ながら、ワイフと娘らに自慢げに見せたのは言うまでもない。
夕飯を終えてしばらくすると、9月末とはいえ、寒い訳はないのにしんしんと冷えるのだ。
ストーブどころかこたつさえまだ必要ではないのにだ。
娘は早々と寝るとかで寝てしまった。

21時頃、家庭事情のことで頼まれていた近所の商店のおかみさんが見えられた。大柄な奥方で半袖姿であった。我が夫婦は冷えてぶるぶるしているが平然としていた。事の次第を話し、冷えないかと尋ねた。おかみさんいわく、ぜんぜん、私は比較的霊感があるのですが、今は何も感じません、でも、気味が悪いからまた来ますと、帰ってしまった。
ワイフはワイフで、もう、標本なんか持ってこないで!!!

一人になった私は、キノコ様に向かって、柏手を打ち、一礼して
夕方にお話したように悪意はないので許して欲しい。そして、できれば我が家の守り神としてお付き合い下さい。お願いします! 柏手を二つ打って、さし当って間に合わないので新品のタオルを四つ折りして、キノコを鎮座させた。

翌日、ワイフはどこかで見つけてきたのか、小さな赤い座布団を買って来て乗せ、祭るようにした。時々何かあるとワイフはキノコ様に願い事をしていた。ワイフいわく、あれ以来良いことは何も無い、むしろ悪くなったとこぼすが、私は逆である。良いことだらけである。あげれば切りが無いが。

20年前の画像 現在の画像
何やら顔らしきものが見えますね。左は怒っている顔、右のは柔和な表情。
20年前のは左寄りのアングル。現在のは真正面のアングルです。

今、不思議な現象が起っている。カーソルが三つになった。二つは停止したまま、もう一つは通常のカーソルだ。それを撮影しようとしたら、消えていた。
もったいないことしたなあ、書く前に撮影すべきだった。

これは天然ハナビラタケから無事コピーができました ページ容量は8887KBです それではとテストした結果は HP4本のうちの www.ettsei の2本は相変わらずエラーします JCOMの2本は異常なく移動やコピーができますね なぜだろうね

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ホームページビルダー11が変だ
08/01/08

参ったね ビスタの次がビルダー11が変だ 生まれつきの粗忽者ですから何かを触って狂わしたかもしれないが それにしても元に戻るだろう 

当サイトは 年間12か月+年頭の辞と花期と道順で14ページもある 年末になると新年度に備えて引っ越しします 毎年新規だと検索エンジンで遅れるので現ページをそのままにして引っ越しした分は頭に年度を入れます 空いた元のページは内容を消して 引っ越し先を明記しています 

この作業を 手慣れた方法 編集→すべて選択→コピー→貼り付け この時 今も念のために前記作業をして見るとクリボードの内容はコピーできないが ↓の絵のようになりました
このようになります では 編集から入るからかと 一行目からドラッグしても同じです↓
新年度に間に合わすために暮れは不眠不休で格闘するもだめで28日にIBMのコールセンターの世話になる この時の話で 他からも同様の苦情がたくさんあって IBMは原因追求中ですと言われた その対処として ページの複製を教わった ページの複製は簡単だったが元のページが消えた 年明けにまた苦情を言うために図のようにコピーしておいたものでした

これでは仕事にならんので 複製したページをまた複製して戻せばいいだろうが 最初の複製が消えても困るのでXPにあるビルダー10でWEBから取りこんで ややこしい工程を経て何とか新年に間に合った 

本日 コールセンターに電話 応対したのは知識をひけらかすのみで役に立たない とどのつまりはページ容量が大きすぎるからだとぬかしやがった 彼の言い分は37KB以内だった そのうえ色々とテストさせられた

考えてごらん XPでビルダー10を利用して事なきを得ているのに 同じページの11でだめとは何事かと怒鳴ってしまった こういう要領を得ないとんまなやつは何処のコールセンターにもいるが 現実問題として 支障をきたしているのだから文句の持って行く場所がない

有料でいいから私のパソで検証してもらえないかと提案したが そういう対応はしてないとニベもなく断られた 商品が使用できないのに売りっぱなしで対応しないとは けしからんのだ
10文字前後ドラッグしてのコピーはできるが 何行にもわたると駄目だ

IBMは03にしかかけられない 携帯からではだめだ 電話代が延べ2日間でビルダー11を2本以上も買える額になる それでも解決するのであれば我慢もするが 37KB以下と言われちゃ腹も立つ そんな小さなものしか対応しないとは聞いたことはないのだ 平均で6000KBはある 第一XPでは問題がないのだ

IBMのホームページをひっくり返しても質問できるところが見つからない そこで私の十八番である内容証明郵便物で社長宛にぶつけた 前記画像を配達証明付きで別送もした  

もう一つの問題もある 一般的ではないが 当サイトを訪問された足跡を収録するソフトを入れている ところが この悪しき現象と同時にアクセス権番号が消えて捕捉できない 更新転送するたびにアクセス権変更作業もやらされる ためしにXPで更新転送するが変化しない

じゃ XPですれば?では答えにならんのだ 09:45〜電話を切った正午すぐにコピーした↓
IBMの経営姿勢が尊大かと言えばそうでもなさそうだ 28日に応対したK君は懇切丁寧であったからだ 大歳社長が直ちに対応してくれることを祈る 

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野焼きは今週または来週とのこと
08/01/07

昨年の12月に
昨年との比較では 今年の方が寒いようです しかし 春の花のはずのホトケノザは昨年同様に12月初旬に群落 例年 1月に顔を出すオオイヌノフグリが12初旬に
ヘビイチゴ・ジシバリ・タンポポ・オオアワダチソウなどが咲き出していながら ノビルがほとんど見かけない 昨年の今頃は自生地周辺で1p前後の玉になっていた

  http://www.ettsei.com/07december1.html#1217
と書いていた

それは 例年12月半ばに刈り払いが終えていてノビルが一番咲きするからでした この冬はご覧の状態で確認ができないのと 年月日がある旧志木街道と新志木街道の草刈が11月下旬にあって 残骸は長期間放置され 植生が枯渇して何もなかったからでした
本日現在でもご覧のとおりです 気候としては昨年とほとんど変わっていないのですから生えているはずだと子細に見て回った あった! サクラソウ公園管理棟から東の一角 オギとヨシがないブロックでは30pになっていた
この冬は昨年12月半ばごろから夜間気温が氷点下の連続ではあるが 乾燥注意報は一度もなく 加えて風速10m前後の北ないし北西の強風もなく 雨もそれほどないのに自生地内はじめじめしている それは従来のような強い冷風で湿気を奪い取らないからだと見る
↑のカットは そう思いながら思わずシャッターしたもの 中央通路の突き当りを右折すると滑り台もどきになっている 面倒だから取り直さずにおいた 15:51現在しとしと降りだしているからじめじめは更に顕著になろう

この時期にこれだけの湿りがあるのは 平成13年からでは初めての現象 平成18年12月25日に172ミリも1晩で降った時は 自生地は湖と化した以外ではなかった現象 例年では乾燥しひび割れ続出であるからサクラソウには酷であったが 本年は吉と出るであろう

帰宅のために車に乗り込んだら 目の前の様子から本年のサクラソウは殺されると腹が立って保護課に電話をした 応対したのは昨年か一昨年から自生地担当になった方だった この方とは 昨年の3/12 一部のサクラソウとアマナその他の花々が咲いているのに通せんぼしたままのところを 東京から見えられた観察会の下見の3人を私の一存で立ち入らせて見どころを教えていたのを 情報源が嫉妬して秋ヶ瀬公園のパトロールカーに知らせてひと悶着した翌々日にすれ違って氏名を尋ねていた その方だった

予定では12月半ばだったが ヨシとオギがまだ青かったために年明けに延期したという
そこで 最近のサクラソウの発芽時期を知っているかと尋ねた
 
だいぶ速まっているが正確にはわからない
というではないか 何のために血税を使って認知症気味の老委託研究員を置いたのか 何の報告も受けないでいいのか 彼をこの時期に自生地で見たことは一度もない 彼は発芽時期が何時かも知らないのだと詰問しておいた

燃やし方についても色々と話し合った 梶山式を勧めておいた それを天然記念物指定七十周年記念論文集にある青木実サイトの写真を見ればやり方がわかると教えたが 青木実サイトがあるとは知らず 不思議がっていた

文化財保護課の職員が 自分らの歴史や書物を見ないでは伝統をないがしろにしすぎると思う

では なぜ青木実サイトが記念論文集の巻頭にあったか それは 自生地を今日の姿にした功労者である 青木儀修元課長が青木実さんの写真でないと駄目だと主張したからであった 
S42年にタクシーの運転手さんに教えられ 初めて自生地を知って 4/13日に足を入れた 当時 10年もボランティアで管理していた梶山喜久蔵さんからあるポイントを教えられ それまでなかった俯瞰撮影のカットを見た浦和市教育委員会の吉田係長(旧浦和市元太氷川神社宮司)が 感涙を流して儀修さんに この方の面倒を君が見てあげなさい と指示されていた

儀修さんは 大学出たてに見えて 青白かったがなかなかの骨太で ゴミ捨て場と化していた自生地を徹底的に調査し駆逐していた 大阪万博があって 浦和市の花の写真はないかと県から問い合わせがあって即座に俯瞰写真を推薦し県商工課に連れて行ってくれた その俯瞰写真の原盤は大判だったために大伸ばしで埼玉県ブースの真正面に飾られたとか(県は 原版を返さず 複製までして県の絵葉書などにS62年まで勝手に流用した 原版が返されたのは2年後 それも傷んでいた)

S44年で梶山さんが辞められた以後の2年間に儀修さんと一度だけだが汗も流した 近代自生地の前夜をともに汗を流した労をねぎらう意味と 当時の青木実の作品はもう2度と出せないすぐれものばかりで 吉田係長ともども青木実のファンとして巻頭に乗せたのだと思う 過去ログに これらのいきさつを断片的に紹介しております

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氷点下2,2度の早朝風景
08/01/06

といっても さいたま市がやたらと気温が低い 周辺から突出している 今朝は甲府市や長野市とそん色はない 元旦の茜富士が頭丁にかぶさった雲でいい絵ではないので 2k川下で待ち構えた 暗いうちははっきり見えた富士山も 周りの明るさが増すにつれて視界前方はもやがかかりだして鮮明度が足りない 

これは 今朝がたの所沢から先がプラス気温によるものなのか さくらそう橋より2k川下寄りだったことから 角度が広がって反射率が下がったのか冴えなかった さくらそう橋は90度の直角だったのかな?

サクラソウ自生地編

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松の内の散歩
08/01/05

自生地は未だに手がつけらていません 土曜日に役人が出るわけはないのだから当たり前か それにしても一昨年と昨年のサクラソウ発芽は1月10日 どちらにしてもサクラソウを痛めることは間違いない どのセクションか不明だが さいたま市から度々当サイトを訪問されている 苦々しく書きたてていることも承知している それでもへこたれないとは さすが鉄仮面役人だね 

まさか 野焼きにするんだから遅れるほどいいと認知症気味の老委託研究員のお達しでも出ているのかな?

そう思いながら左岸土手から子どもの森に向かう 土手下から見上げる風景がある いつもは無視していたが今日はシャッターした 
連日氷点下というのに土手や↑の子供の森横堤(青木仮称)青々です 子供の森横堤の川上側に入るのは何年ぶりかな ここには田んぼや畑があって子供の森側からだと鉄柱が打ちつけられ 私には苦も無く通り抜けられるが 面倒なので避けていた 今日はなぜか通りたくなって左岸土手から入った 昨日も ピクニックの森でお孫さんたちと山菜摘みと出会った所為か 今日も お孫さんと畑仕事が目に入り 車を止めてシャッター
真横を通った時にカカシであると知る それにしても色っぽいカカシだった
ジッチャマの話では 先ほども わざわざ道路ぱたに引き出して撮影したのがいたそうだ

富士山の撮影ポイントが北寄りすぎている 夕焼けシルエット富士山は太陽が富士山から離れすぎる もう少し東京寄りからのほうが富士山のそばに太陽が来るだろうと外環道に回って見た 残念ながら本日ももやって富士山は見えない 手ぶらで帰るのも癪だと夕日にレンズを向けた 2段押しのシャッターでファインダーに富士らしきが見える 露出補正ナシが最高

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関東は穏やかな三が日
08/01/04

元旦の正午から娘夫婦のおつきあいで信州へ 一歩も表に出ず麻雀三昧だった わざわざ行くこともないと思うが 気分が違うよと娘夫婦は言うが 私に言わせれば無駄な趣味だね
4日の今日 自生地へ 何も変化はない アクシデントでも発生したのかな アクシデントと言えばS45年もそうであった 前の年まで10年もボランティアで管理していた梶山さんが突然に辞めてしまった やめた理由は 当時の一般の日当は7千円だったのを市から1500円を支給されていた 好きだから2月から5月の連休まで管理したのであるが S44年に官僚の功名心で県から表彰状を出したらしい 梶山さんはカチンときたそうだ そんな紙っぺら一枚で誤魔化すな 出す気があるなら銭でも出したらどうだと腹を立てたとのこと ご健在であれば90歳は越えたであろう

こうして S45年は梶山さんより年上が一人アルバイトで入った ノウハウもないものだから草刈鎌で作業していた 三日後に腰を痛めてやめてしまった それ以後は手がつけられずにいた 3月に入っても進展しなかった たまりかねた私は 生まれて初めて草刈鎌を買い込んで あのド堅いヨシとオギを刈りだした

そこへ当時の文化財保護に熱心な保護課の青木儀修さんも鎌を携えて駆けつけた およそ半日強で二人とも腰を痛めてしまい 儀修さんは
これは素人のすることではないですな 至急しかるべき方途を見つけます
ということで 差し当たって公園緑地課が管理するようになった

この度も アクシデントであれば 認知症気味の老委託研究員がいなくなった? 文化財保護についてのポリシーがない現保護課の連中には 手の施しようもなく放置する?
縦位置で撮影すると↓になります
出動が遅れたためにもやがかかってしまった 8〜9時までがいいのかもしれない ところが 賀状に添付した小江戸川越周辺の草花の野原博さんの富士山は鮮やかだった 腕違いだね
ピクニックの森から左岸土手に出た もう半月以上 夜間気温は氷点下 耐え抜いたのがホトケノザ 耐えられなかったのがタンポポ
ミッキー年の撮影の目線の先に中空に静止した物体が目に入る 政府も騒いだUFOだ〜 レンズを向けた 正体は皆さんにお任せします
彼らも私同様に白髪になるんですね 私のは終着点を意味するが 彼らは風に乗って世界各地で恋をするんだろうね うらやましい

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初日の出
08/01/01

昨夕から喘息が出て寝つけたのは02時ころであった 元旦の初茜色富士の撮影を心がけるが 目が覚めたのは06:10だった 間に合わなくても凍結したホトケノザの撮影の2段構えでさくらそう橋につくと 車が数珠つなぎだ 彩湖の開門待ちと思いきゃ およそ50人ほどが携帯カメラで東に向いていた 初日の出のポイントだったんだ

クリームたっぷりの富士に雲がのしかかっているが 私にとっては64年ぶりの茜色富士だ

我が家のチビたち
クミのあまえを無視したら御覧のとおり 邪魔をしてくれた パソは毛だらけだ
一方の孤児トラは逞しくなった ミッキー年にちなんで朝から戯れる 男前だね

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