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04年度の観察目標

2分前のことも思い出せない状況が続いています 従いまして時々書き足しています

下手な画像でも著作権は存在します。無断使用は厳禁です
拙文も著作人格権(氏名表示権)を無視したものは厳禁です


学者の妄言を糾弾

この項の目次
★ 昆虫による受粉がない 種子が出来ない やがて枯れる について
★ 環境の変化が昆虫相を崩壊させ について
★ そんなことはないよと異を唱える委託研究者
★ アカデミーが間違えた?
 訪花昆虫がいないのに結実する理由についての素人考え

★ アカデミーの必要性はあるの?
★ 4年続きの課題



★★★昆虫による受粉がない 種子が出来ない やがて枯れる について★★★

加藤克己氏が『国立科学博物館ニュース第277号』('92・5)で共同研究者の筑波大学の鷲谷いづみ博士が意外な事実を明らかにしたと。 田島ヶ原のサクラソウは受粉に関与する昆虫がほとんどなく種子をつけない。数十年の寿命があるサクラソウですが、やがて枯れる、種子ができないということは、近い将来、消滅するだろうと紹介。
以後、アカデミーらが右倣えするかのように追従する。 

ところが、これに先立つこと2年前の1990年、
浦和市教育委員会発行の『天然記念物指定70周年記念論文集』103ページ〜117ページに鷲谷いづみ博士の調査報告があるが中身がまるで違うのだ。

昆虫がいない・受粉できない・種子がない・やがて死滅するとは一言も触れられていない。むしろ、結実状態について1986〜1988年の調査結果、考察・結論(116頁)
ポリネーターの著しい制限のもとにある自生地でも十分な種子生産をあげることが出来るのであろう
と書いている。(ポリネーターとは送粉昆虫?)
その中で、8ミリシネマ(当時ビデオは草創期だった)で2秒間隔でコマ撮り中に訪花昆虫を見かけなかった点を記しているが、やがて死滅するとは書いてなかった。

この点について精査すると、数十年前には送粉昆虫に恵まれ、現在のサクラソウ集団を形成しえたが、その後の周辺環境の変化で植生が変えられ、昆虫層が崩壊したためと考えている。これらのあらましは鷲谷(1987、1988)、加藤辰巳(1992)によくまとめられている(1999、浦和市教育委員会発行・特別天然記念物田島ヶ原サクラソウ自生地・保護増殖実験調査事業報告書22頁による)。
というように記念論文集に先立つ3年も前に加藤克己氏が『国立科学博物館ニュース第277号』('92・5)で紹介したような字句があるらしい。このでたらめぶり(下線文字)は次の項で証明します。

では記念論文集に何故はっきりと書かなかったのか。
私の憶測で恐縮ですが、根拠のない推測でしかないから権威ある記念論文集に書こうものなら叩かれるを恐れたのでしょう。

とにかく、加藤克己氏が『国立科学博物館ニュース第277号』('92・5)で紹介したような記述はない。内容が専門的過ぎてここで紹介できませんので勉学を思考される方は図書館で浦和市教育委員会発行の『天然記念物指定70周年記念論文集』をご覧ください。
この論文集は1回発行のみで廃刊しているそうです。

★★★環境の変化が昆虫相を崩壊させ について★★★

昆虫がいない、種子が出来ないと加藤克己氏と鷲谷いづみ博士は多種の雑誌などで発表しています。
追従者続出です。アカデミーの連中というのは、ある権威らしきものの意見に盲従する悪癖がある。
↓は『滅び行く日本の植物50種(1992年11月10日)』にあった加藤克己氏名義の記事。

サクラソウは異型花柱性・・・特殊な交配システム・・・昆虫が他の個体から花粉を運ばない限り種子ができない仕組み・・・戦後間もない頃、田島ヶ原の周囲にはのどかな田園風景が広がっていた・・・
(ま、田園風景といえば言えるが、20年前、さいたま市に越してきた方が近所の80歳になる老人から子供時代、荒川を渡るサクラソウ自生地に沿う志木街道は『追いはぎ街道』といわれ、恐ろしいところだったという。その意味で言えば、人間が寄り付かないのですから植生には楽園だったかもしれない)

そして、昆虫がいなくなったのは
近年、急速に都市化が進行するにつれて、田島ヶ原はいつの間にかまわりをゴルフ場や工場などに取り囲まれてしまった。急激な環境の変化は田島ヶ原周辺の昆虫相を破壊させ、サクラソウ保護区を自然環境から切り離された「生態的な陸の孤島」にしてしまったのである。
とまあ、言葉遊びに酔いしれた感さえあるのだ。

この場合の田島ヶ原とは、サクラソウ自生地を指し、サクラソウ自生地は荒川河川敷にあり、河川敷とは、左右の土手に囲まれた範囲をいう。

荒川河川敷にはゴルフ場以外の工場は何処にあるのだろうか。土手から自生地jまでの400m内、川上川下も含め荒川全流域の河川敷には環境破壊につながる工場などはありません。
これこそ、見て来たような嘘を言いです。お見せしましょう。
ごらんのように土手内の河川敷には建造物は水門以外は存在しません。水門完成はごく最近です。
昭和46年に自生地の管理を公園緑地課が担当するまでは、大画面の右側は不法投棄ゴミの山でした。何処を見て工場というんでしょうね。たしかに、両土手の外側には人家が立つようにはなりましたがね。これとて、昭和50年(1975)以降ですから鷲谷いずみ博士らが調査に入った1986年頃はようやく現在に近づきつつあったものでした。では、それ以前はというと一面の田んぼでしたから昆虫の良き棲家とはいえないでしょう。

河川敷にゴルフ場ができるまでは一面の藪でしかないのでした。

昭和42年にサクラソウと出会って、当時ボランティアで10年も一人で管理していた梶山喜代蔵さんという方にいろいろ教わって、その御礼としてお手伝いをし、梶山さんが辞められた同45年に年配者の代替要員を用意したが、2日で腰を痛めたとかでこれまた辞められ、3月に入ってサクラソウが芽出しするというのにオギヶ原はそのままであった。

たまりかねて草刈釜を買い求め、オギ刈りを始めたものでした。初日の1時間遅れで当時の保護課の青木義脩担当官も、偶然にも同じ思いで草刈釜を携えて見えられ、二人で3日がかかりで100坪も進まなかった。腰は痛めるわで、そのことから公園緑地課の担当に至ったのだと思う。

さて、緑地課としても物が文化財ですから、対応できず、義脩担当官が教えたのか困ることがあると電話がじゃんじゃんかかってきて大変でした。私も武蔵野の花から野生のキノコに取材が変わったものですから、自生地から遠ざかっていました。ま、そういう事情があったのでした。

                             
                                             一人で行う梶山さんの野焼き作業


前記1999年保護増殖実験調査事業報告書によれば、明治36年(1903)、雪吹敏光が他の植物では自らの観察が含まれているのにサクラソウに関しては訪花昆虫への言及がない。

明治39年(1906)7月、梅沢親光。戸田ヶ原
明治41年(1908)4月25日、矢野宗幹。戸田ヶ原
昭和16年(1941)5月11日、植村利夫。田島ヶ原

以上の3氏も、昆虫の飛翔状況は現在とさほどの違いがないと観察記にあるという。観察記の中で、隣のノウルシには吸蜜するがサクラソウをよけるという。あたかもサクラソウは虫達に嫌われているようだったという。

昭和前期はもとより、明治期においても、荒川河川敷のサクラソウ自生地では、訪花昆虫が極めて少なかった、ということになりそうである。
と1999年の保護増殖実験調査事業報告書は結んでいる。

急速に都市化が進行したから訪花昆虫の生存が脅かされたのではないことは、先人達の観察で荒川河川敷ではアカデミーが言う環境破壊のなかった100年も前から昆虫はごく稀であると報告したことではっきりしている。工場や人家や食糧難での開墾と農薬を使用していない100年前にですよ。

それを無視した鷲谷いづみ博士は捏造の名人といえる。なぜなら、先人達の観察から100年来、訪花昆虫が稀でも、田島のサクラソウは綿々と息づいているのですからね。鷲谷いづみ博士説が正しいのであれば、今頃、田島のサクラソウ自生地なんて存在するはずはありません。50年で死滅だからね。

お分かりいただけたでしょうか。前の項で「でたらめぶり」と指摘した点が・・・
数十年前には送粉昆虫に恵まれ、現在のサクラソウ集団を形成しえたが、その後の周辺環境の変化で植生が変えられ、昆虫層が崩壊したためと考えている。
よくまあ、これだけのでたらめが言えるものですね。鷲谷あっての植生、それ以前に植生は存在しないかのような姿勢だ。これが現東大の教授という。これに教えられた学生は哀れだね。

自生地のサクラソウは、すべての株数の3割しか花は咲きません。
花を咲かせた株はそこで生涯を終え、咲かなかった株が来年のさらに3割が咲くという。↓写真
つまり、7割が花を咲かしていないのですから結実するはずはなく、その部分を見て結実しない、それは昆虫がいないからだとは軽率過ぎやしないか。記念論文集には異なる結論を出して行政側に取り入る押しなべてアカデミーとはそういうものらしい。行政側もそれを珍重するらしいのだ。

★★★そんなことはないよと異を唱える委託研究者★★★

昆虫がいない・受粉できない・種子がない・やがて死滅するという鷲谷いづみ博士説に対して、異を唱えたのが磯田洋二氏(私が知り合った昭和42年頃、蕨高校教諭、毎年学生を連れ生態調査をされていた)。田島ヶ原のサクラソウに関しては『磯田のサクラソウ』といえる権威である。
当サイトを立ち上げた01年度に詳しく紹介しています。
しかし、01年度分が消滅しましたので簡単に『磯田のサクラソウ』の由来を紹介します。

1969年頃と思う、その年の生態調査に千葉大学の男女の教授が参加していた。男性教授が「ここのサクラソウは文字どおり磯田先生のサクラソウですから、胸張って大声を張り上げなさい、 そうしないと損だよ」と励ましていた。

磯田先生は市文化財保護課の委託研究員として教諭時代には寸暇を惜しんでは自生地内をくまなく調査されていた。その人をさておいて、推測で昆虫がいない、種がない、やがて死滅すると言い切るのは大それた行為といわざるを得ない。なぜなら、推測の検証がないからです。
それを写真つきで後述します。

磯田先生が異を挟んだと紹介していたのは前出の保護増殖実験調査事業報告書です。すなわち、

田島ヶ原のサクラソウがかなり以前から地下茎だけの繁殖をしていること、訪花昆虫が極めて少なく、有効な送粉昆虫が確認されていないのは事実であるが、結実性に関しては現在でも極端に低下しているわけではなく、長花柱花の群落では、結実はすべての群落に及び(48.8%)短花柱花でも80%が結実(開花株の24.2%)という事実;また、送粉昆虫がいないと思われているのに花粉の形態から他家受粉していることが確認されていること;など、鷲谷らの結論では説明しきれない面が残るというものである。
                                         
                                                       地下茎からの芽だし

実は私、磯田先生を歯がゆく思っていた。田島のサクラソウに関しては世界の権威であるにも拘らず博士とか大学教授の肩書きに弱いのか、自説を強調しないからでした。でも、この報告書を見て、言う時はいっているのでほっとしています。

★★★アカデミーが間違えた?★★★

さて、結実していないと言い放った鷲谷いづみ博士に対して偶然にも反論できる様子を撮影していた。
【自生地の一年】の中のサクラソウ画像の中に意図なくして花と結実した↓の3カットがあります。
鋭角の★形が結実です。
ごらんのように花がしっかりしているうちに結実しています。わかってて撮影したものではありません。デジカメを手に入れ、老眼の上に見えにくいモニターしかないデジカメですので詳しいことは確認できず手当たり次第に撮影したものでした。ゆえにこの項を書くまで気づかなかった。

左下は03年6月9日の撮影。アップ撮りゆえ周りは見えていませんが、左隅に別の株が見えます。

私は植物については何も分からない門外漢です。ただ、いつ見に行けばいいかを写真を通じて告知するだけですが、それもセンスがないので芸術写真ではなく、自生地全体を紹介するよう心がけているものです。3年間毎日無意識のうちに撮りまくったサクラソウが約3500カット、サクラソウを取り巻く周りは約1000カット、ここからサクラソウの生態らしき様子が続出したものでした。

01年5月6日のカットには花と実が写っています。これは1970年以前の平年並みです。一方、02年4月23日のカットにはすでに実が写っていますね。この年は暖冬でして18日をもって早々と情報発信終了宣言を出すほど気候が進んでいました。

このように気候によって平年並みか、2週間も早まるか自然界には存在するのです。

03年は4月18日に私が急性喘息の発作で入院したこともあって花と実を同時に見ていませんが、これをもって種子がないとは言えないように、推測で言い放った鷲谷博士は軽率のそしりを免れ得ないでしょう。なぜなら、ど素人でさえ、花期と終わったあとも結実が無数にあるのを撮影しているのですからね。退院1ヵ月後の03年6月9日に見回った際に撮影したのが『サクラソウ果実』のカットです。

このように植物専門家である筑波大学の鷲谷いづみ博士の見る目は、素人と違うはずだし確認できないはずはありません。まさか、受精卵があるように結実と種子は違うよとは言わないでしょうね。軽率の結果が、アカデミーの盲従者続出の上、小学4年の教科書にも軽率が固定された。

ど素人の私も昆虫はほとんど見かけません。
トップページのカットや↑の右下カットの昆虫は偶然に写っていたもので、自生地の一年に載せるべく選定した中に、あ〜ら、珍しいとばかり超拡大したものです。トップページのカットは右上のカットを超拡大したもので拡大前でもかすかに見えています。

事実にかかわりなく、権威だけで黒を白に変えるアカデミーの悪癖の最たるものです。
何故そうなるのか、答えは簡単です。
アカデミーは「○○ありき」という主観から入るからです。それゆえ事実関係を無視するか、その主観に都合いいように解釈する、黒を白に変えるゆえんです。
そのために大きな過ちを犯すのです。その辺を画像で示します。

例年、春先は、日が高くなるにつれて風が吹き出します。そこで撮影は10時までに終わらせます。撮影は接写が主ですからぶれるのです。4月いっぱいまで北西の烈風が2日に一度の割合で吹き荒れます。

03年は厳冬でした。私が入院する4月17日までは連日のように寒風の連続でした。4月に入って15m前後の南風は一日だけでした。入院中ながら5月に入っても4月初旬の陽気は分かりました。この気候にあってサクラソウの成長は遅々としていましたが、他の植物は著しい成長です。
     

写真Aは4月14日、26日に外出を許されて一目散に自生地に飛んだのが写真B。同じアングルでわずか12日でオギがサクラソウを隠しています。

それでいて、サクラソウは盛りを過ぎたわけではない。CとDはBの4分後。いずれもつぼみを抱えています。満開の直前です。

アカデミーがこの場にいたら、昆虫の飛翔もないのだから間違いなく
田島ヶ原のサクラソウは受粉に関与する昆虫がほとんどなく種子をつけない。数十年の寿命があるサクラソウですが、やがて枯れる、種子ができないということは、近い将来、消滅するだろう
と御託宣するでしょう。アカデミーのいい加減ぶりがお分かりいただけたと思う。

それにしても、サクラソウの寿命が数十年と誰がどのような方法で何時固定したのかね。

鷲谷いずみ博士がそのように言い切るのは錯乱していたのでしょうね。それで、何もないところに突然サクラソウが現れて博士の目に留まり、送粉昆虫がいないよ、種子がないよ、で寿命の50数年で死滅となった。それしか考えようがありません。なぜなら、田島のサクラソウは江戸時代からあったとは周知の事実、200年後の平成の世にも田島の自生地には何はともあれサクラソウは生き続いている、この事実を博士は認めようとしいないからです。錯乱のゆえんです。追従した他の連中も然り。

私のように頭の中が真っ白の門外漢だと客観的に見られます。本格的に取り組んだ平成13年の1年目に30年前と様子が違うのに出会い、なんでだろう、どうしてだろう、現れた現実の収録に1年目は費やし、2年目からは前年度の検証に費やし、ある程度の方向が分かってこれの固定にあと3年を費やす予定。そういう客観的な取材態度を経てきているから生意気にもアカデミーを批判できるのです。

古い文書とはいえ、現在も磯田先生の異論があっても、この説が幅をきかせているのです。

さて、現実には結実しているわけですから、なんでかを40年以上も研究を委託された磯田先生が平成10年、同11年の保護増殖実験調査報告書で結論を出せないのは不思議というほかない。多分、未だに結論は出ていないと思う。なぜなら、平成13年(2001)、3市合併前年、当時の担当者が前記資料を送ってくれたからです。

それを開封せずに何時しか忘れていたが、この項を書くに当たってようやく探し当て、全資料を見てびっくり。昆虫による受粉がない自生地のサクラソウは30年後には死滅するという噂の基が鷲谷いずみ博士説だった次第。その前々任者から吐き捨てるような不満も聞いていた。

★★★
訪花昆虫がいないのに結実する理由についての素人考え
★★★

昆虫が花粉を運ばずに結実する理由は、おそらく花期には連日のように7、8メートルの強風が吹いているからだと考えます。
アカデミーは花期の強風は眼中にないようだ。

                    
        サクラソウは異型花柱性といってもアリババの油壺ほど深いわけではない。↑

サクラソウが強風にあおられると折れやしないかと心配するほどですから筒内の花粉が揺らされて飛びちり、風に運ばれて受粉する、スギ花粉の飛翔と同じ原理ではないか。

もうひとつ。観察記にもありますようにサクラソウが虫達に嫌われているとすれば、子孫の温存には風に頼るだけではおぼつかないから、生活の知恵とでもいえましょうか、磯田先生の観察による【地下茎だけの繁殖】のように転んでもただでは起きない2足のわらじを履く風に進化したのでしょう。否、3足のわらじかもしれない。自家受粉もありますからね。そのように考えたほうが妥当ではないか。
ここが他地区の自生サクラソウと異なるところと見ます。

荒川流域に訪花昆虫が少ない理由は花期の北の強風にあるのではないか。例の観察記はほとんどが川下の戸田河川敷ですが、3K川上の田島ヶ原とは地理、環境などは寸分の違いもない。

隣接の県立秋が瀬公園の2.5k川上のはずれに自然林があります。東京ドーム7個分はある広さです。自生地で強風が吹いていても自然林内では風の影響はありません。4月に入ると蝶の愛好家達が探索に大勢やってきます。私も教わってブルーシジミを撮影しています。

                

ところが自生地ではモンシロ蝶さえ見えません。2.5k先に乱舞する蝶々があるのに自生地ではまったく見かけません。寒風の影響だろうと思います。その証拠に寒風がおさまる4月末になるとモンシロ蝶がランデブーを始めます。あるいは、寒風が収まるということよりも昆虫の出番はその頃なのではないか。

モンシロ蝶は人懐こい蝶々です。私の周りをぐるぐる回ったり、歩き出すと先導するかのように先回りします。止まると、行った先から戻ってきます。私は必ず言葉をかけます。

お〜い、元気か?恋人おるか?恋人のところへ行って来い

モンシロ蝶は目の前でホバリングでしてくれます。心なしか、笑顔を作っているように感じます。

モンシロ蝶と同じ大きさの黄色い蝶も現れますが、この蝶はせわしなく飛び回り瞬時たりとも停止どころかホバリングさえしません。ようやく夏の終わり頃にアザミに吸蜜しているところを捉えた始末でした。

そこで昆虫の痕跡はあるかと撮影した4500カットを探してみたらありました。

          

ブルーシジミと黄色い蝶とC〜Eは自然林で。ハルジオンとF〜Hは自生地の柵の外で。
ブルーシジミ以外は、いずれも5月1日から10日までに撮影されたものです。この時期によしんば自生地内で昆虫が飛翔していたとしてもサクラソウに受粉関与は時期遅しでしょう。サクラソウはおばあさんになっているだろうし、オギの成長で地面すれすれにあるサクラソウに着花しにくいだろう。
不思議なことに、以上はすべて01年に撮影されています。なぜか02〜03年は皆無でした。

昆虫達は春先の強風を嫌っている節があります。ゆえに田島のサクラソウは花粉飛ばしで生きている。

その点、同記念論文集に寄稿している、筑波大学農林学系助教授(1990年)農学博士の生井兵冶氏は、ど素人の私の考え同様に風媒受粉の可能性を書いている。しかし、この先生も教育出版刊国語4上タイトル「さくらそうの保護」(61〜70ページ・1998/1/20発行)で鷲谷いずみ博士説を踏襲している。
なんとも矛盾としか言いようがない。小学4年生に間違った情報を植えつけるとは嘆かわしい。

鷲谷いずみ博士らは、北海道や長野県にある自生サクラソウの場合は訪花昆虫が通常にあると主張する。そうであれば私が考えるには、両地ともに田島より気候が1ヶ月遅れですから昆虫の活動期に当たるからでしょう。風薫る5月と違い、吹きすさぶ寒風をさえぎるものがない田島自生地の4月では昆虫達の冬眠はまだ続いているのではないか。

では、稀に現れる昆虫がサクラソウを避ける理由は?
それは田島のサクラソウにとって昆虫のいない時期に花期に入り子孫温存のために編み出された花粉飛ばしや地下茎による繁殖、あるいは自家受粉という風に進化したその過程で、たとえばの話、大変な作業でかいた汗による汗臭さ?が虫達を追いやってるのではないか。お姫育ちの北海道や長野県と違い田島のは奴隷船こぎ手の奴隷の汗臭い匂いがする、あるいは待てど暮らせど訪花昆虫が現れないから腹を立て、お前らに来てもらう必要はないと催涙剤を放出しているのかもね。
逆にそれを好む昆虫も稀にはおる、ではないか。


★★★アカデミーの必要性はあるの?★★★

私の知る限り、40数年も委託研究員をおきなから顕微鏡的事柄に血道をあげ、種から苗を作って植栽する以外、何一つ自生サクラソウ増殖の成果はなく、アカデミーの手を借りれば特定アカデミーの独りよがりに振り回された、そのように感じざるを得ない。

それゆえ、文化財保護課は磯田先生に研究委託の一方でアカデミーらに突発的かつ瞬間的な調査を委託したのは磯田先生が信用できなかったからかね。

私は、磯田先生との親交はなく、自生地でお会いするだけですが、そこから垣間見るご性格は、温和にして粛々として物事に取り組む、決して勢いのある行動はなさらないと見ています。そして大事なことは研究途中にあれば結論を見出すまでは確固たる意見は出さない、そこを疎まれたのかな? あるいは70周年記念論文集を出すに当たって箔付けにアカデミーが必要だったのかな?

私から見た磯田先生は、職人ではなく、研究のための研究にしか神経がいかないブキッチョな研究家としてうつる。なぜなら、ノウルシについて開花前に除去すれば次年度以降に繁殖が減退する事を発見していながら実行に移したがどうかは知るよしもないが、ノウルシのために来訪者をがっかりさせているからです。

国が特別天然記念物として指定するのは、人目に触れずひっそりとノウルシやオギに隠れて咲かせるためではあるまい。オギにさえぎられるまでの間だけでも柵に近いあたりのノウルシ退治でもして、来訪者の鑑賞に耐えうることが保護ではないか。この観点に立たない磯田先生の管理作業は空回りだね。

昨年の6月、磯田先生が20日をもってやめると聞きましたが、その後も辞めずにいた。辞められては困る保護課ではあるのだ。磯田先生としては、保護のためには1年を通じての管理は欠かせないと言い、保護課では花の時期だけ管理すれば良いというらしい。それではやってられないと磯田先生が考えたとしても当然でしょう。保護課の言い分は予算がないの一点らしい。調査保護作業は昨年の11月で終了して、本年は、花の時期だけボランティアを募ってなにかをするとか目論んでいるとのこと。

保護課にそう思わせたのも空回りの結果でしょう。なぜなら、磯田式での管理成果は0だった。私が責任者だったら、40数年も携わった結果が何一つ現れず、研究者の名誉のためにだけでは金はびた一文も出せない、となりますね。

このように言い切るのは、野焼きを止めた平成11年から刈り払いに移行して3年目の平成13年のサクラソウの丈と花は野焼き時代の三分の二しかなかった。これは毎年撮影にこられているアマチュアカメラマンたちと磯田先生が認めていた。その理由は刈り払い後の残骸を肥料にと大量に残したからだろうという私の意見に、03年度は残骸をできるだけ取れ、02年度に記述。04年度では残さず取れと先生から指示が出たそうです。年末刈り払い作業請負責任者の証言です。おかげで綺麗でした。

残骸取り去りだけで見ても、本来は野焼きから刈り払いに移行してどうなるかを専門家がいち早く気を使うべきですが、ど素人の私の意見で恐る恐る試すとは、応用や実験する気構えはまるで見えません。顕微鏡的のゆえんです。

↓の画像を見てください。これを撮影したのは、この様子を見てなんで?となったからでした。ど素人の私でさえ、なんちゅうことか、これではサクラソウが地表に出てもさらに8cmの残骸と戦わなくてならないのではサクラソウが衰退するだろうに、と感じたからでした。それなのに専門家は気にも留めなかった。

むしろ肥料になるからと残せるだけ残せと指示したのである。
農家の方がこれを見て、このど硬いものが肥料になるのに何年かかるか、と吐き捨てていた。

       
↑の発芽したサクラソウに8センチの残骸をかぶしたらどうなるか、専門家は分からん?

文化財保護課がシーズンだけの管理でいいとしたのはある程度理解できる。というのは、磯田先生が1年の管理をしたがるのは、個人的なサクラソウ後の植生の研究に必要だからではないか。そのため03年度の8月以降でも柵の外側や自生地内の通路の草刈を業者にさせていた。2、3種の自生地から消えかかっている植生があるにはあるが、これらは本来なさずとも済むものですから保護課が嫌な顔をするわけです。してもしなくてもサクラソウに影響はないのです。

アカデミーの妄言に振り回されたことではあっても、過去30年間にやってきた井戸、スプリンクラー、地下水計測装置などは無駄な投資であったと考える。スプリンクラーに至っては十分な水量が得られないとかで放置されさび付いたまま。当然に井戸も歴史の埋蔵物になる始末。地下水計測装置などは無駄の標本だ。なぜなら、ヒシじゃあるまいし根っこが地下水に漬かる必要に迫られる植生は何ぼあるものか。押しなべて学者というのは訳の分からんことでも言わんと学者にあらずと錯覚しているようだ。

管理成果0のゆえんです。これらはすべて市民の血税でまかなわれているんだ。

                    

観察会といっても、ノウルシとオギにサクラソウは隠れてしまっている。これをなんと説明しているかね。↓のご婦人たちの作業にしたって私の知る限りでは20数年も延々とやってきたものだ。アホウでない限り結論は出ていなければならないのだから、税金泥棒といわれても仕方なかんべえ。

                    
                                               磯田先生指導による調査作業

★★★4年続きの課題★★★

サクラソウの生育状態を告知し、もっともいい時期に皆さんが来られるようにが目的でしたが、いつの間にかとんでもない方向に流れたのは、間違い、または嘘の言い伝えを30年間も信じ込まされた反動でした。上記、種子がないから死滅するもそうですが、決定的だったのがノウルシとサクラソウの関係。

サクラソウがいい状態になったとき、背丈60センチ以上のノウルシも絶頂期にありましてサクラソウを隠してしまうのは邪魔だな〜と誰もが感じます。

これについて、夏場、日陰植物であるサクラソウに日陰を作ってくれるノウルシは切っても切れない間柄と聞かされた。ところが30年ぶりで、しかも、リアルタイムで情報を発信することになった01年の5月も日参して嘘である状況を発見したのでした。その状況とは↓の写真です。


       

ノウルシは5月の後半から紅葉し落葉しています。日陰どころか6月後半では跡形もなく消滅しているのです。誰が言い出したのかは不明ですが、行く末を見ずにこのような嘘がまかり通っているのです。

サクラソウにしてもそうです。↑の03年6月9日のサクラソウ果実のカットのように夏の前に生涯を終ええるのですから、日陰も何もあったものではないのです。本当に必要であれば、自生地にはサクラソウとノウルシしかないというわけではないのですからね。自生地には太陽を拝みたくて背比べするかのように1mにも伸びる雑草のほうがよっぽど影を作ってくれます。オギもあるしね。↓

                

このことから他の言い伝えも怪しいぞ、で検証も平行し、ついつい辛口に相成ったものでした。そして知り得たことを断片的ではありますが、02・03年度のサクラソウ情報テキストにちりばめておりますので、初めてご訪問いただいた方はついでに見てください。


そういう次第ですので本年の目標は次のとおりです。
1/第1次指定地にある五つのブロックにそれぞれ定点観測点を置き
2/それぞれの総株数と開花の割合
3/開花の結実割合
4/オギの弊害及び他の花々の推移
これらを画像として収録、当サイトで公表します。

いつまでたっても、日陰植物だとか、湿性を好むとか、地下水の低下でサクラソウが駄目になるとか、環境に順応した現在のサクラソウの形態を無視するかのようなアカデミーの体たらくをただしたい。

ニュースで報道された私立岩手高校の佐々木修一教諭の話は凄い!

磁石が鉄を吸い付けるのに、くっつくか落ちるしかないという160年前の定説を市販の磁石で見事に覆した。吸い付けたパチンコ玉のうち一個が宙に浮いたのである。共同研究者の村上雅人・芝浦工大教授は「常識にとらわれない高校教諭だからこその発見」と絶賛したという。


○○ありきを信望する鷲谷いずみ博士は佐々木教諭の爪の垢を煎じて飲んでいれば、サクラソウが死滅するとは言わなかったでしょう。

ま、ど素人ですが、栽培している方などの協力を得てアカデミーが考え付かないような視点でなにかしか形に収めたい。昨年のように病魔に冒されないよう気ぃつけてやります。

なお、画像に年月日を入れているのは、事実の証明です。本年は物によっては日時にします。

重ねて!!! 
田島のサクラソウは周囲の環境と乾燥状態に順応している事実を他地区の自生サクラソウと異なる認識で今後の保護について考えるべきです

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