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サクラソウ 2月
青字は自生地地表温度 赤字は公式発表 

2分前のことも思い出せない状況が続いています 従いまして時々書き足しています

下手な画像でも著作権は存在します 無断使用は厳禁です
拙文も著作人格権(氏名表示権)を無視したものは厳禁です


04/02/01

本格シーズン突入に当たって

光陰矢のごとし。師走だ、暮れだ、お正月だ、年末にノウルシが発芽したの、年初にサクラソウが発芽したのと騒いでいたら早2月に入りました。まさに光陰矢のごとし。若い人たちに実感はないでしょうが、人生の終着駅を目の前にしている私としてはああ、あとわずかか、そういう感慨です。

とはいっても暗いものではありません。生まれつきの怠け者で苦労しないで食うことばかり考え、実際、能力の範囲内で苦労せずに生きてこれたのですから悔いはない。

それどころか、この期に及んでも嬉々としてサクラソウを写し、人々に告知する喜び、そのうえ、矛盾をものともせず実情を無視したアカデミーらの妄言を叩ける喜びは冥土への土産としてぶら下げて旅立てるのはすばらしいと考える。負け惜しみでなく・・・    

さて、本格シーズンに入るに当たって2、3整理しておきたい。

1/アカデミーらの妄言
田島ヶ原のサクラソウは江戸時代から綿々と咲き続けてきた。ほとんどの荒川流域では採取されつくされ消滅したが、田島だけはいち早く天然記念物として保護し、戦後に国の特別天然物として守り、今日がある。

そこへ一天かき曇り、雷鳴轟き、大洪水が発生した。


数十年前には送粉昆虫に恵まれ、現在のサクラソウ集団を形成しえたが、その後の周辺環境の変化で植生が変えられ昆虫層が崩壊したためと考えている。鷲谷(1987、88)  よって数十年後には消滅すると宣言した鷲谷いずみ博士の見てきたような嘘が蔓延し、ついに小学4年の国語の本にまで固定された。朝日新聞社もその説を踏襲している。     
  http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/13/1333.htm  ページ末に記載している

06/06/04 22:20お断り訂正

上記朝日新聞社の鷲谷説追従について私の抗議を受けて本日鷲谷説のタネが出来ない記述を削除したのを発見 
サクラソウの花を訪れる昆虫は少ない。 そのためか,タイプ間における種子生産の偏りが大きく,等花柱花個体の種子生産のみ が目立ちます。
というように次ページ末に差し替えられていました

 見てきたような嘘の根拠は、
数十年前には送粉昆虫に恵まれ の現場にいられるほどの年ではなく若いのだそうで、見てもいないのに良くぞいえますね。既報のように100年前の先人達が送粉昆虫は稀だと報告しているのにです。教育界に広められた鷲谷いずみ博士の嘘をなんとしても 摘み取らねばならない。
  
嘘を知らずに国語に載せた教育出版株式会社に問い合わせたが未だ回答はない。     

2/野焼きから刈り払いに移行した弊害                                                 01年、30年ぶりで自生地に戻り、自生地の生態を撮るべく花期の間
   、日参して先ずびっくりしたのが、野焼きではなく刈り払いだったこと。
   そしてなぜか、残骸が残されて、その間を縫ってサクラソウが窮屈そう
   に生えていた。↓写真左。
   赤矢印の先に発芽したてのサクラソウが見える。地下茎からの発芽
   の三分の一しかない。種子からの発芽でしょう。8センチの残骸の隙
   間を見つけて太陽を拝むのですから細い茎がさらに細くモヤシのよう
   になる。その結果、常連のアマチュアカメラマン達をして、葉丈が低い
   、花が小さいと言わしめた。                                                         


やがて開花してからは白斑点の花がやたらと目に付いた。絞りではない。  
これが残骸の大量残しの付けかもしれないと、02年度に私個人の実験を踏まえて観察したところ、花全体の三分の一が白斑点になっていた。ゆえに白斑点病?と名づけた。      
                                                             

03年度は、残骸をできるだけ取れと磯田先生から指示が出たといっても、ごらんの程度です。

たったこれだけのものですが、遺伝ブロック以外では白斑点病?は見つからなかった。↑は凍傷にかかって黄変しているが立派な花を咲かせていた。白斑点は出生時の悪環境によると考える。度々書いているように18日に入院したために、以後の観察は出来なかったが17日までに白斑点は皆無だったことは8センチ強の残骸残しは、サクラソウに大変な負担をかけたことは間違いない。

本年はチリ一つ残さないようにしてあるので白斑点病?が出なければ固定できるし、葉丈と花の大きさが30年前にもどっていなければ50年来の野焼きから刈り払いに移行した影響と断定していいでしょう。 30年前の姿に戻るには、刈り払いに移行してから3年目に前記のような現象になったのですから、チリ一つ残さないことが続けば06年には結論が出るでしょう。

30年前にもどらない場合は、野焼きによる灰の栄養が取れないことになります。なぜなら、田島ヶ原のサクラソウは野焼きの灰から栄養を50数年とって来たのですから、それに馴染んでいた。そこに戻してやらないと弱小体質に落ちつくかもしれない。 


04/02/03

やっとお湿り

最低気温0時1.6度 地表12時13度(10度) 14時まで微風 
15時東の風
4m 最高11.4度 

昨日、わずか3ミリでしたが干天に慈雨的だったですね。ノビルがあっという間にはびこっている。

息絶えだえのサクラソウが心なしか緑が強まった。ノウルシかサクラソウか見分けがつかないのがあった。2、3日もあれば判明するでしょう。アマナもわが世の春を歌いだした。春は見えてきたぞ。

04/02/04

ノウルシも地下茎からの発芽

最低気温7時1.7度 地表正午12度(9度) 北北西の風 最高 14時より曇る

今日は快晴でした。正午頃から風が強めでしたがそれ以前は穏やかでした。 
自生地の表情は昨日と変わりません。ノウルシかサクラソウかという植生の確認ですが残念ながら所在不明で確認不能でした。よくあることです。山歩きで迷うのはこのためですね。柵のロープにテープを張るのですが2分前のことも思い出せないものですからつい忘れた。   

せっかく来たのだから何かしか土産にと、隣接秋が瀬公園内のノウルシを掘り下げてみると地下茎から発芽していた。自生地も多分同じでしょう。荒川流域は100年前から訪花昆虫が稀ですからね。ノウルシとて例外ではなく、花粉を運んでくれる昆虫が稀とすれば地下茎からの発芽しか生きる道はない。自生地内の植生すべてが生活の知恵でそのように進化していると考えたほうが正しいかと思う。 そのことについて今後確認していくつもりです。 

であれば、種子からの繁殖がないと寿命で消滅するという鷲谷いずみ博士説が嘘であることが証明されましたね。なぜならノウルシも100年前からサクラソウとともに消滅しないで栄えてきたからです。

04/02/06

本格発芽は遅れそう

最低気温7時−2.3度 13時地表12度(8度) 全日東西南北の微風 最高

昨日は7時まで氷点下でした。15時10.1度、16時から北西の強風が吹き荒れた。       

12月が暖か過ぎたためにノウルシやサクラソウの慌て者が地表に顔を出したのはいいが、1月20日から昨年並みの低温が続いて、開葉したのは凍傷に、そうではないのはじっとしています。人間よりも賢い。この分でいきますとここ3年来、2月9日ごろに発芽していたのが遅れるかもしれません。

人間に触れましたのでついでに。
現代の人間は、どうにもならないと悪さをします。彼女らのように時節が来るまで待つ知恵がなくなったようです。モノマネ犯罪も増えたしね。マスコミが報道しなければ知らずに済んで余計な犯罪も発生しないと思うんですがね。マスコミがこぞって犯罪の手口の再現劇をやらかすのは犯罪学校のなにものでもない。嘆かわしいよ。
                                                

この場所に一日何度となく鳩たちが
餌をついばんでいます
今頃の餌は何でしょうね
種子?虫?
種子であればこの一帯にサクラソウは
ないから心配はないが、虫であれば
昆虫減少の真犯人?
写すものがないので将来のために・・・
10m四方にだけあるものです
蛇と出るかヘビ?と出るか楽しみだ

04/02/07

本格発芽は遅れそうの根拠

今日も最低気温−3度(−2.8)だった。これでは自生地に変化は望めないので日参休止。最高気温は8.8度。全日微風。しかし、中国北部には次の寒気団が現れ、黄海を南下して九州と沖縄の間に筋雲が。中国南部から覆いかぶさる前線が沖縄で消滅している。寒気団がそのまま南下するか、または横滑りして北上するのか今のところは不明。北上すれば前線は伸びて降雨が望めそう、そう願いたい。                                                              

↑で本格発芽は遅れそうとした根拠は、過去3年の間、強風や雨以外は出ずっぱりで写真してきた、その学習からの第六感によるものです。その能力に長けているのですが、これでは批判してきたアカデミーとなんらかわらないので、第六感の中身を紐解いて見ます。            

シーズンの経験則では気温も影響が少しはありますが、降雨量が影響しているという記憶です。とくに昨年の1月前半と後半で大量の降雨があった。この雨量は発芽する植生たちには大変な力水となりますね。間違っても、サクラソウは湿地帯植物だからといわないように。              

経験則の記憶と事実はどう違うかを気象庁のデータで確認しました。                                
01年01月0.0ミリ。2月13ミリ。3月1〜4日まで42ミリ。
発芽は3月05日。         

02年01月111ミリ。2月6日まで21ミリ。 
発芽は2月10日。         

03年01月 57ミリ。2月9日〜11日まで15ミリ。
発芽は2月11日。         

04年01月0.0ミリ。2月7日まで0ミリ。 
   
                                              
以上のように1月に降雨0で2月も少雨である場合は、わずか過去3年ですが発芽が遅れる傾向です。発芽直前に大雨があるとたちどころに発芽している様子は過去3年で顕著です。
一昨年と昨年の発芽時期にまだ間がありますのでなんともいえませんが。


04/02/08

昆虫による受粉の疑問

凍てつく夜だった。
1時−1.4度。2時−1.7度。3時−2.6度。4時−3.2度。5時−3.7度。
6時−4.0度。7時−4.3度。8時−1.5度。9時−0.9度。最高9.2度。   
暖冬のはずだったがここへ来てシベリアになっちまった。過去3年の発芽時期が明日あさってに迫っているが、↑の予想どおり遅れるでしょう。 

サクラソウは異型花柱性という特殊な交配システムをもつ。昆虫が他の個体から花粉を運んできてくれないかぎり、種子が出来ない仕組みになっているのだ。                                        
というようにアカデミーらは大声で吹聴している。でも、そうだろうか、大変な疑問である。それらをど素人の感触で反論したい。

私が昭和42(1967)年に前職を引退して花の写真家として再出発以来、幾多の花の名所をまわっていた。その際、アカデミーらがいう送粉昆虫の群がる様子を目撃したことはない。       

養蜂家が大量の巣箱を運び込んで吸蜜させている場合でも広範囲に飛び散るから群がる様子は見えないように、自然形態ではほとんど目に付かないのである。よしんば送粉昆虫による受粉がないと種子が出来ないとすれば、サクラソウの花の形態から見て疑問がわく。                

昆虫が吸蜜したときに足か口ばし?に花粉が付着したとしても、せいぜい花の1個か2個程度に受粉するであろう。サクラソウは花茎1本に対して花は6個ほどつきます。↓写真              

写真で見るように、その昆虫が意識して受粉するのであれば、花粉仕入れに出かけなければならないでしょう。現実にはそのようなことはないのですから残りの花にも吸蜜するとすれば受粉はないことになります。ということは残りの花は受粉されない。昆虫が群がって蜜の奪い合いでもないかぎり、残りの花に種子は出来ないでしょう。なぜなら、
昆虫が他の個体から花粉を運んできてくれないかぎり、種子が出来ない仕組みになっているのだ
というんですからね。                                                                

ところが、現実にはごらんのように
満遍なく種子がついている
アカデミーはなんて説明するかね

咲ききったものから結実している
アカデミーらの硬直した主観か 
昆虫が他の個体から花粉を運んできてくれないかぎり、種子が出来ない仕組みになっているのだ
という馬鹿げた結論を引き出したといえるようです。結実の様子を一度も見ていないのでしょうね。

では、何故に満遍なく結実するかですね。これには風媒や自家受粉で説明がつくと思う。

写真は自家・風媒受粉と思われる様子

04/02/09

サクラソウ本格発芽で〜す

最低気温7時−2.2度 11時地表12度(8.8度) 北の風1m 快晴 最高10.6

1月12日に発芽して息絶えだえのサクラソウを撮影。周辺を見回したが新規発芽なし。鳥達が群をなして頭上をこえ着地したのをへぼないデジカメで追う。そこへ熟年ご夫婦に声をかけられた。ひとしきりサクラソウ談義をしているところへ駐車場側でさくらそ草公園管理従業員の三角さんがしきりと最前撮影した場所あたりを指差しているが60m先ですので声は聞こえない。様子が変なので熟年ご夫婦も誘って駆け寄ってみると昨日見つけたぞ、ホラ、こんなに出ている指先を見ると5ミリほどのサクラソウが当たり一面にあるではないか。奥のは1センチです。       

私は何処を見ていたのかな。撮影していた場所から1mも離れていない。 

それにしても、えらそうなことを言う割には予想が完全に外れましたね。平成14年からサクラソウたちは気温や乾燥にかかわりなく2月10日前後に一斉発芽するシステムになったようですね。  

これをもって1週間前後には後続部隊が続々と出てくるでしょう。

予想にはまだまだ早いですが、見ごろは4月17日前後でいいと思います。5月いっぱいまでサクラソウは咲いておりますが、オギにさえぎられて2、3箇所でしか見られません。さえぎるものがなく、ノウルシとのバランスが最もよい時期は17日前後ということです。確かな予想を出せるのは3月20日ころになります。例年通り当サイトをご注視ください。 
サクラソウを見えなくする邪魔なノウルシ
一斉発芽するとは思わず以下を用意したものです
この点は一部のアカデミーらも思い、実験していた。結果は惨めだったらしい。すなわち、         
昭和53(1978)年度に実施し、昭和54(1979)年度に結果を調査したノウルシ除去実験(略1979、1980)はこの点から見ると処理時期が遅い(4月30日以後)。
前記、天然記念物指定70周年記念論文集57頁(佐伯敏郎氏寄稿) 

私は二つの現象を体験している。その体験から見て佐伯氏の指摘は間違っている気がする。    

1/イネ科の除去失敗      
     ある時期66所帯の民間団地風共同住宅の管理をしていた。狭いスペ
     ースながら芝の植え込みがある。管理の悪さから芝がイネ科植物に駆
     逐され、それを根こそぎ抜いたことがあった。丈は1mに達していた。炎
     天下で2m×10mの範囲を抜いたところで倒れ、作業を中止10日後
     に寄って見るとなんと見事に生えそろっていた。しかも、抜かれなかった
     ものたちに追いつこうとするのか丈が後20cmに迫っていた。一族の
     一大事とばかり地下に残った細根から大急ぎで再生したのでしょう。

2/公園造成で消えたチョウジソウ
      昭和46(1971)年、県立秋が瀬公園が完成した年のゴールデンウイ
      ークが過ぎたころ子供の森に入った。ちょうど下草の刈り払い最中で、
      そこはチョウジソウの一大群落地であった。   
      満開のチョウジソウが遠慮会釈なく刈り取られ哀れであった。花を追う
      ものたちの感慨だ。     
      チョウジソウは2度と子供の森で姿を見せることはなかった。

以上のように何をされてもしぶとく生きようとする植生とそうでない植生があるということですね。    

不思議なことに追実験をしていないらしい。していれば誰かが書いたはずだからです。なぜか、保護課にその気はなかった?否、アカデミーらにその能力がなかったに他ならない。本来なら能力があれば、その反省に立って修正して再実験を試みるものです。能書きは一人前だが実力は0である。例の記念論文集をまめに覗いたら、植物、動物、昆虫などの大家が大勢雁首をそろえているが、していることは、ど素人の私でも首を傾げたくなるような手探り状態です。ま、追々取り上げていきます。

ところで、早々とサクラソウを覆い隠すオギの除去はどうかというと駄目ですね。イネ科同様に除去してもすぐ後から生えそろいます。昨年の6月後半、中央通路の30m左側にコバギボウシの群落がありまして、磯田先生がスタッフにオギを刈り取らせていました。2ヶ月後立ち寄ってみるとオギが追いついておりましたね。

問題は、オギよりもサクラソウ全盛期の訪問された方々が、いかにしてノウルシによって落胆せずに済むかということですね。保護の目的をそこに置かないと保護の意味がなくなる。 

私からの提案は、柵の全域から奥行き3mのノウルシを5cmほどに成長した段階で除去するのです。

これであれば、各3mのゾーンでサクラソウが身近に鑑賞できる。他の植生に影響も出ない。
         

04/02/10

アカデミーに反撃する理由

最低気温7時−0.3度 12時地表10度(4.9度) 南南東の風2m 快晴 最高7.3

強い太陽光線と照り返しで冷たいそよ風が心地よい。新発見から一夜明けた今日、サクラソウはそこかしこに賑やかになりました。しゃがみ込んでじっと見詰めると2、3ミリなのが有るわあるわでわくわくです。種子からの発芽を確認できました。写真は9日の写真の左下の二株の手前です。   

ごらんのようにか細いものですね。これがあの8センチ強の残骸を潜り抜けるのですから可哀相だったですね。本来、ほじくってみるべきではないですが、鷲谷いずみ博士説への反論としての必要悪ですのでお許しいただきたい。元通りに土を戻しております。

ここに見えているアマナは普通のアマナの幼葉、右上に見えるのはヒロハノアマナです。

私は平成2年、カラオケ著作権料問題にかかわったときに有斐閣刊著作権判例百選を紐解いたことがあります。その巻末に年表がありまして、昭和6(1931)年、欧米諸国の代理人として来日したドイツ人(氏名忘却)が真っ先に槍玉に挙げたのがNHKと有名な植物博士の牧野博士でした。これを見てがっかりしたものです。一時期花を追ったころずいぶんと参考にしたのにあの
有名な博士が文献盗用とは・・・以後アカデミーの話に根拠がない限り信用しないようになった。 

私のような無学のものは先生といわれる種族に頼らざるを得ないが、そのアカデミーの社会ではいかにも簡単に誰かの説を踏襲する、それは1からやらないで済むからであると思われる。その結果が間違ったまま伝播する、アカデミーの誰一人立ち止まって検証しようとはしない。かろうじて佐伯敏郎東大教授が片鱗を見せたに過ぎない。それも遠慮勝ちにではあるが。

そこへサクラソウです。すでに耳にたこが出来るほど書きたててきたように、実情を無視した鷲谷いずみ博士のデタラメ論が小学4年の教科書に堂々と教材として使われたことに腹が立つのです。戦後教育の弊害が荒廃を招いたといわれて久しい。その元凶はアカデミーのいい加減ぶりとそれを水戸黄門の印籠よろしくひれ伏す社会風潮が助長させたといえます。

既報のように鷲谷いずみ博士のデタラメ論を筑波大学農林学系助教授生井兵冶氏が後輩と思われる鷲谷説を自己の見解である風倍受粉説を倉庫にしまい踏襲し教育出版株教科書に載せた。馴れ合いで教育されちゃかなわん。                                                                                 
その教育出版に質問メールを送っているが既報のように今もって返事がない。一方、加藤克己氏が利用した、滅び行く日本の植物50種、の出版社である築地書館にも質問メールを送っているが即刻次のようなメッセージが寄せられた。

----- Original Message -----
From: "稲葉 将樹" <inaba@tsukiji-shokan.co.jp>
To: "青木実" <sakuraso@jcom.home.ne.jp>
Sent: Monday, February 09, 2004 12:02 PM
Subject: Re: クレームです

> 青木実さま
>
> ご愛読ありがとうございます。
>
> 下記の件は、
> 執筆者に伝えておきます。
> その上で内容について検討したいと思います。
> (ただし『滅び行く日本の植物50種』は、
> すでに現在、品切重版未定の本です)
>
> 取り急ぎ失礼いたします。
> 今後とも小社刊行物をよろしくお願いいたします。
>
> ------------------------------------
> 築地書館 編集・製作部 
> 稲葉 将樹
> e-mail:inaba@tsukiji-shokan.co.jp
> http://www.tsukiji-shokan.co.jp/
> 〒104-0045
> 東京都中央区築地7-4-4-201
> TEL:03-3542-3731
> FAX:03-3541-5799
> ------------------------------------

この対応の違いは何か。片や一般書籍、片や教育出版ゆえに頭が高いのかね。 私は本を見ないほうですが、初めて知った「築地書館」の出版物を今後は出来るだけ見たい。

04/02/11

一足遅い冬・・?

タイトルは、農芸科を勉学されたときに当サイトを参考にしていたという大学受験中のお嬢さんから昨日いただいたメールのタイトルがこの冬を雄弁に物語っているので借用したものです。  

1時〜7時までは
−2.2度、前後は−1度で推移した。7時以降は気温が上がらず、12時に5.8度、13時7.1度空の色はミルクを薄くまぶしたように白っぽい。春の空の色合いですがとにかく空気が冷たい。ほとんど風はなし。15、16時8.7度17時現在8.3度。                  

この冷たさで8日に発芽したサクラソウはどうなったか心配ですが、日曜祭日は足がなくなるので自転車と思ったが、この冷たさでは老体にこたえるので自生地参りは休みにした。あのか細い種子からの発芽さんは大丈夫かな。                                                             
写真で見るように地下茎からの発芽さんは頑丈ですね。一方、種子からの発芽さんは当然ながら小さな種子からですからひ弱に見えます。しかし、開花したときは見分けがつかない。 この件は平成2年に種子から苗→植栽した箇所が開花したときに写真を交えて触れます。    

教科書に載った内容を明らかにしないと私の一人芝居にとらわれかねませんので転載します。

教育出版(株)刊 国語4上61頁〜70頁 文部省検定済教科書・小学校国語科用 17教出 国語421

さくらそうの保護     生井兵冶(なまいひょうじ)                       

 みなさんは、野生のさくらそうを知っていますか。
 昔、さくらそうは、全国各地の野山に自然にはえていました。
春になると、あちこちのさくらそうの自生地は、大ぜいの花見の人でにぎわったものです。
 ところが、開発が進むにつれて、さくらそうの自生地は田畑やじゅうたく地に変わり、しだいにすがたを消してしまいました。今では、日本じゅうでも数えるほどしかありません。

 埼玉県浦和市の荒川べりにある田島ヶ原は、地元の人たちのどりょくによって大切に保護されてきた、きちょうなさくらそうの自生地です。大正九年(一九二○年)には、国の天然記念物に指定されました。 
 今でも、四月中ごろになると、約百万かぶのさくらそうがかわいい花をさかせ、人々を楽しませてくれています。
  しかし、その田島ヶ原のさくらそうも、このままでは、やがてぜつめつしてしまうのではないかと心配されています。
  昭和五十八年のことでした。浦和市では、かんきょうの変化がさくらそうの自生地にあたえるえいきょうについて、よりほんかく的な調査を始めることにしました。

 調査には、さまざまな分野の科学者が参加しました。大学で、作物の品種改良や、花と昆虫 の関係を研究していたわたしも調査員にえらばれ、さくらそうのはんしょくの様子を調べるチームの一員になりました。

 わたしたちは、まず、かぶごとに花の数や種のなり方を調べてみることにしました。すると、どうしのでしょう。
ほとんどのかぶに、種ができないことがわかりました
 さくらそうは、次のような二つのほうほうで、かぶをふやすことができる植物です。
 その一つは、多くの植物と同じように、地上に落ちた種が、冬を越して春に芽を出し、新しいかぶになるほうほうです。
 さくらそうの花には、めしべが長く、おしべが低いところにある花と、めしべが短く、おしべが高い ところにある花の二種類があり、それぞれのかぶには一種類の花しかさきません。そして、ちがった二種類の花の間で受粉が行われたときに、種ができます。ですから、サクラソウの種は、必ず、二つのことなった株のせいしつをあわせもっています。
 もう一つは、春から秋にかけて、くきの一部を地中にのばし、次の年の春にその先から芽を出して、新しいかぶをつくるほうほうです。    
 しかし、このほうほうでは、親と全く同じせいしつのかぶしか生まれません。ふつう、こうして生まれたかぶは、じゅみょうが短く、数十年でかれてしまうといわれています。 

  ですから、種ができなければ、田島ヶ原のさくらそうは、やがてはかれてしまい、ぜつめつしてしまうかもしれません
では、なぜ、田島ヶ原のさくらそうには、種が中々できないのでしょう。
   昭和六十三年の春、わたしたちは、田島ヶ原のさくらそうの受粉の様子を四台のえいが用のカメラでさつえいしてみました。さくらそうは、午前五時の日の出より少し前にさき始め、午前九時ごろ花びらがかんぜんにひらきます。そして、ほとんどの花が、一週間いじょうも美しくさきつづけます。

昆虫はごくまれにやってきますが、みつを求めて花から花へと飛びかうすがたはありません。花を採取して調べたけっか、ちがった二種類の花の間での受粉は、全くといってよいほど行われていないことがわかりました。
  そこで、ちがった二種類の花の間で人工授粉をしてみることにしました。すると、数日で花がしぼんでしまい、やがて、それぞれの花に数十つぶの種が実りました。

  次の年、わたしたちは、長野県の野辺山高原にあるさくらそうの自生地に出かけ、同じようにカメラを使って受粉の様子を調べました。すると、田島ヶ原とは全くことなり、そこでは、午前五時から 午後一時までの間に、ハナアブやハナバチなどの仲間が、一つの花につき平均約四回、最高では十一回もみつを求めて飛んできたのです。そして、昆虫の来た花を採取して調べてみると、ちがった二種類の花の間でよく受粉が行われていることがわかりました。

   田島ヶ原のさくらそうに種ができにくい理由は、これではっきりしました。受粉をしてくれる昆虫たちが、ほとんどやってこないためだったのです。
   田島ヶ原のさくらそう自生地は、昭和二十七年(一九五二年)には国の特別天然記念物に指定され、大切に保護されてきました。しかし、その周囲では開発が進められ、いつしか、昆虫たちのすみかがうばわれるてしまっていたのです

以下略

植生の営みについてここでは問いません。何を問題としているのかを再度、次に掲げます。

江戸時代から田島ヶ原のサクラソウは平成の世の今も営々と繁栄している。

明治36年(1903) 雪吹敏光 
同   39年(1906) 梅沢親光
同  41年(1908)  矢野宗幹
昭和16年(1941) 植村利夫 
の4氏によって訪花昆虫は稀であったと報告しています。


昆虫は稀だよと100年前から観察されていた。この先人達の証言を知らないのかまたは意図的に知らん振りしたのでしょう。なぜなら、アカデミーが過去の文献を見ないはずはないからです。 
開発が進められ、いつしか、昆虫たちのすみかがうばわれるてしまっていた訳ではない。

どうしても気をつけなくちゃならないのは、環境破壊で昆虫のすみかが奪われたのでないこと。

100年前から荒川流域では昆虫が稀だったこと、田島ヶ原以外の自生地からサクラソウが消滅したのは人間によって採取されつくしたからであり、決して昆虫がいないからではありません。

田島ヶ原にしたって、保護とは立ち入り禁止だけであって、昆虫を育てるとか、アカデミー好みの方策は示されたことはありません。したがって増殖につながる手立ては今もって混沌としたものです。それでもサクラソウは繁栄しています。それをなんと説明しますか?。

種はできないどころかいたるところで売るほど見られる。

種子についてはおよそ7点の写真を掲載したように無数にある。3500カットのサクラソウ写真を探せばまだまだいくらでも出てくるはずです。それも、オギの藪にわけ入っての撮影では ありません。誰でも通って良い通路わきにあるものです。しかも、花期の撮影 が主で後から種が写っているとわかったたものばかりです。通路でそうだから、柵内では種子問屋が出来るはずです。    
この現実は今日突然に現れたものではなく何時の世にもあったものです。
嘘八百を教科書の教材にしちゃいかん。

04/02/12

忘 却

最低気温5時−2.0度 11時地表14度(10度) 無風 快晴 最高13

今朝の−2度でおチビさんはどうかなと心配だったが無事でした。サクラソウは強い。  そこへ声をかけられた。

去年、お姿が見えなかったがご病気でも?

熟年男性だった。顔に見覚えがある。ひとしきり話がはずんで別れた。熟年男性の話の中に70周年記念論文に名前がある、ということから、ああ、あの方か、で思い出した。                  

02年テキストの 02/4/15 突然変異の現場 で紹介しましたご夫婦と間違えた方であろうと思う。というのは、記念論文集に触れるのは他にはいないからです。そうなんです、記念論文集に私の名前もありました。それはともかく、2年ぶりの再会ですが、えらく顔が変わっていましたね。わたしも含めて熟年層は何年か経つと老け込むんですね。記憶力超減退だ。

恰好のいい熟年ご夫婦がともに双眼鏡で鳥達を観察している。うれしくて思わず声をかけた。いいですね、ご夫婦が同じ趣味で・・・

だんなは照れていたが、奥方は怖気ずに話しが弾んだ。

そこへ、自転車で可愛いおばさんが見えられた。話の輪に加わる。聞けば、鳥の観察で川下の  東京は板橋区の隣の和光市から来たという。距離にして15kはあろうか。歩いてきたこともある、さすがにくたびれたそうだ。

そこへ3人ほどばらばらですが通りかがりに挨拶していく。いいね。こういうのは。お互いが別々だが、同じところに居合わした、そこで挨拶、今日は素晴らしい方々との触れ合いが出来た良い日だった。 気候も穏やかな春の一日でした。

弾んだ話というのはノウルシについてであった。

ノウルシは地中にネットワークを組んで営んでいる。直径2cmほどの根が切れ目なく入り組んでまるで貨物列車のようだ。車蓋に芽が連続している。↓写真


写真右は左カットの下の部分、切断面から乳液が出ている。切断面先はさらにつながっている。これが当たり一面に立錐の余地もなくはびこっている。さらにオギやヨシの根が重なり、とてもじゃないが、サクラソウの生存域が、開かずの踏み切りの歩道だ。うっかりすると死を招く。


04/02/13

北西微風の春

最低気温7時−1度 13時地表16度(10度) 北東の風2m 快晴 最高11

氷点下にならない夜だった。1時〜3時は2.4度〜2.8度、6時では−0.7度、7時に−1度毎朝発表とにらめっこしているが、お天道様が顔を出してから最低気温を記録する、なんで〜今日も快晴、11時現在の地表温度は13度、しかし、発表は8度、突き刺すような北東の風が頬を刺すからだろうか。大宮から歩いてくるという熟年男性と小1時間同じ姿勢で話込んでいたら風の来る側の腕が凍えた。それにしても、出会う方々はいずれも私よりはるかに若い。大宮の方も私と同年輩と思っていたそうだが七つも若い、もう年上と出会うことはなくなったなぁ。    

オオイヌノフグリの色合いも絶頂期の色合いに。鳥達もだいぶ入れ替わったようだ。

自生地の地表ではオギとヨシの根っこがむき出しです。AはカラカラですがBはみずみずしい。ノウルシかと思ったが、ちぎっても乳液がないことと波型がオギそっくりなのでオギでしょう。そうなると、早々と発芽するやも知れない。

サクラソウもだいぶ賑やかに。Dはすでに2.5センチに。氷点下でない限り育ちは良さそう。

私は暇さえあれば http://tenki.or.jp/ を見ております。それと各地の富士山ライブカメラ画像も天気を占うのに役立っております。すっきりした富士山を見るとスカッとしますね。


04/02/14

空は春の色

最低気温7時2.4度 12時地表16度(11.1度) 南南東の風2m 快晴 最高16

昨夜、東海地方で降った雨は関東には届かなかった。夜間気温も3.5度〜4.2度で推移しメモリ上では暖かい夜であった。9時過ぎから快晴となるが空も空気も白い粉を飛ばしたようなぼやっとした春の色である。 ただ今、15:26突然に南の突風が、春一番のようだ。         

自生地ではノビルがゾーンとして目立ちだした。早や、ノカンゾウが顔を出した。


ここ何年となく荒川では治水工事が続いている。いつの間にか左岸に彩湖ができたかと思えば河川敷のど真ん中に第三の土手が築かれている。↓を参照。 
川下はJR武蔵野線のはるか下から秋ヶ瀬橋、浦所線の羽倉橋の約4kに及ぶ。ところが土手というのは基点から基点で終わるのであるが、第三土手は羽倉橋を越えたところから直角に左岸土手に向かって繋がっている。この幅はおよそ60mだ。


地図は県ホームページからの借用です
私は平成元年まで商業写真を営んでいた。業務内容にお見舞い写真がある。25年ほど前からお見合い写真は素人くさい写真が仲人間で定着していた。本物の素人写真では役に立たないのでプロが素人くさく撮るのである。すべての撮影は野外で行い、サイズはサービス版で、定型封筒に入れて多方面に送れるという具合です。 

私が良く利用したロケーション地は秋ヶ瀬公園内の子供の森である。年に1、2度は大雨で森中が池になります。また何年かに1度は土手の1Mほどに水があがることがあります。

平成2年からカラオケボックス業を経営するようになって写真は休業し、夜型人間に変身、荒川へはトンとご無沙汰するようになった。したがいまして大水の発生はあったのかどうかはさっぱり分かりません。平成13年に戻って以来、森の中が水満たしになることはありません。データに基づかない観念的ではあるが、近年、土手1mになる大雨はなくなったような気がする。       

何が言いたいのか、それは、図で見るように壁土手によって上流からの大水は約400Mの壁土手によってせき止められ、第三土手によって川幅が半分になるのですから大水の行き場がなくなって左岸を乗り越えやしないかという心配です。そうなると大久保地区はたまりませんよ。      

治水の目的は、40年ほど前、台風による大雨で下流にある東京都足立区その他で2mほど水が入った苦い経験からのことでしょうが、下流を助けるために上流が犠牲になりはしないか。週明けにでも荒川工事事務所にその辺の対応はどうかを尋ねる予定。

この工事によるサクラソウへの影響は不明。私はないと考える。なぜなら、サクラソウは長いこと乾燥に順応してきているし、そのように進化もしているからです。

04/02/15

ふるきに学ぶ

最低気温6時2.6度 正午現在12.4度  北西の風6m 快晴 最高12.8

今日は足のない日ですので自生地まいりは休みです。

昨夜はパラパラっとすずめの涙にもならない降雨があったが、2日連続の氷点下でない夜が続きました。昨日と打って変わって紺碧の冬空です。北西の風が発表では6mですが、どの家もベランダに干している布団がダンシングチームにも負けない賑やかさです。                   

旧浦和市教育委員会発行の『さくらそう通信』5号(1998.2.27)に記載された内容を取り上げます。                                                                                                               三好 学(旧字体)理学博士。(1862.1.4〜1935.5.11)

明治22年(1889)東京帝国大学(現東京大学)卒。大学院の途中でドイツへ留学。ライプチヒ大学で植物生理学を学び、帰国後は東大教授として学生の指導にあたるかたわら、自らも幅広い研究を続ける。著書も多く、専門書から随筆集まで多岐にわたり、ヨーロッパの植物学を紹介する著書に「植物生態学」という造語をはじめて用いている。  

明治39年(1906)に天然記念物保存の必要性を訴え、その後は内務省の天然記念物調査会委員などに就任し、天然記念物保存の立法化に尽力した。
参考資料 「現代日本 朝日人物事典」 朝日新聞社                                                     

土地ノ状態 (勝手に現代語に訳します)。

東京市を貫流する隅田川の上流である荒川の沿岸には古来から桜草がいっぱいに咲く原野がある。これらはしばしば河水の氾濫で泥土が流れ込み養分に富めるも、なんでもないときは、地面は乾き、亀裂している。この土壌の状態は普通の原野とことなっている。したがって植物の群落も違っている。その中でも最も固有種は桜草で春には一面を紅花で飾り、それに交じって、黄色の野漆、紫色及び白色の菫、紫色の丁字草、紅紫色のむらさきけまん、やぶえんごさく、黄金食のひきのかさの花々があたかも天然の花園のごとく一大美観を呈している。

青木解説
以上の内容と以下に記すのは大正9年(1920)に三好博士が発表したもので、これに先立つこと4年前には、サクラソウ自生地の地権者や保存に奔走していた有志達の懇請で田島の地を訪問している。多分、その後も度々訪されたものと思われます。

以上で分かるように、大正5年〜9年ころも大地は乾き、ひび割れていた。このことは現在も変わらない。                                      
ひび割れの様子   

写真は通路を写したものですが、三好博士が訪れた当時は通路はなく何処からでも入れた。ということは、現在より乾燥は凄かったことになる。なぜなら、今であれば通路以外での乾燥によるひび割れを見ることは出来ないからです。通路のひび割れは踏み固められたからであって柵内では踏まれずにさくさくとしているからひび割れようがないと考えます。そうであれば当時の乾燥状態は想像を絶するほどだったようだ。春の植生については今と変わらない。ということは江戸時代から不変だったといえる。

それを現代の若いアカデミーらは当時の実態を無視して、あたかも己の妄想説が正しいかのように振舞って格上げを企んでいる、といわれても言い過ぎではない。

天然記念物トシテノ桜草ノ自生地
わが国では北海道から本州及び九州において桜草はある。その産地はいずれも辺境にあって天然記念物としての研究または観覧に不便なところが多い。

サクラソウは花が美しいだけでなく、先天的に変化に富み、花の形態には大小、色彩もいろいろあって、花茎の長さ、花茎の毛の密度もさまざま、さらに、花冠には、5片、6片、7片などがあって、−中略− 絞り、線入、更紗、砂子、白も稀にあって異彩を放っている。−中略− 天然記念物として、適当なる程度において一定の地域を保存する必要があり、田島ヶ原はこの目的に合うものと信ず。

青木解説
↓の04/02/01で白斑点病と紹介した右カットの模様は、花冠や色と模様を記した原色図の中にありました。トップ頁のカットにある白い点のもありました。何年かの連続観察なのかは不明ですが、私の3年連続の観察では、白斑点病として掲載した左カットは私が言う遺伝ブロックのもので毎年同じ場所に出ます。それ以外は平成13年は少しだけ、14年は三分の一が白斑点に、15年には消えていた、ということから特段の事情によるものと考えていたので上記の観察と同一視できるかは不明です。これの確認には本年を含めてあと3年は必要です。

遺伝ブロック 原色図と同じもの

名勝トシテノ桜草原野

天然記念物としての桜草自生地の保存について述べてきたが、名勝とする自生地は桜草が自生する大切な場所であることは論を待たない。旧幕時代には江戸に近い浮間ヶ原、戸田原等の荒川沿岸の原野は桜草の名所として知られ、旧時出版せる名所案内、花鳥暦の類に載せないものはなし。これらの原野は明治20年ころまでは多少旧態を保っていたが、その後土地の変化、遊覧者の濫採、商売人の過度の採取等のため今日では同地方の桜草はほとんど採り尽くされた。幸いに荒川の上流沿岸地方には今日なお桜草を産せるところがあるが、交通不便のため観覧には適せず、この点、前記土合村内(十一ヶ村を合併したので十一が合うと。現田島・青木注釈)の桜草産地は浦和町よりわずかに一里(4k)に過ぎず、かつ、車馬の便もあって名勝として保存するには適当な土地というべし。以下略。

青木解説
お分かりいただけたでしょうか。サクラソウは                                     

数十年前には送粉昆虫に恵まれ、現在のサクラソウ集団を形成しえたが、その後の周辺環境の変化で植生が変えられ昆虫層が崩壊したためと考えている。鷲谷(1987、88) 
したがって
昆虫が他の個体から花粉を運んできてくれないかぎり、種子が出来ない仕組みになっているのだ

種ができなければ、田島ヶ原のさくらそうは、やがてはかれてしまい、ぜつめつしてしまうかもしれません
で絶滅する、はないことを。これ以上のデタラメはない。もう注釈を加える必要はないでしょう。     

さくらそう通信5号の所見
実写のモノクロ写真が4点。その中でも大正5年4月25日の自生地訪問の記念写真に写っていたサクラソウの丈は、しゃがみこんだ方のひざ辺りの高さにあった。およそ30センチはあろうか。他の植生はなくサクラソウ一色である。背景も同様であった。まさに絨毯ですね。

他の3点のうち一点は、合成によるパノラマ写真。モノクロですので判別しにくいがサクラソウだけのようです。後の2点にはノウルシやオギがサクラソウを隠しに入ってます。撮影時期が別なのでしょう。著作権問題がありますので転写できないことをご了承ください。

04/02/17

2度目の免許更新高齢者講習

最低気温6時−2.4度 自生地地表14時16度  南西の風 快晴 最高12

15日夜から吹き出した北西の風は16日いっぱい吹き荒れ、平均風速は7.3mでした。わずか2日間の留守でしたが、ノビルの青は増しています。驚いたことにノウルシが開葉しています。この連中は氷点下に強いですね。一方、サクラソウの新規発芽は見られないが発芽したものの成長は目に見えるほどではない。

そこかしこにカタツムリの残骸が見えます。中は空洞ですが、これをあるアカデミーが野焼きで焼き殺したのだと主張したトンマがいた。こういうのが記念論文集に出るのはお笑いだ。  

75歳から免許更新のとき、高齢者講習を受ける法律が出来て一回目の方たちの2回目の時に私は第一回講習を受けた。その2度目が今日の午前中にあった。参加者は8人、自動車学校の配慮で2回目のものだけを集め、少人数にしたそうだ。現在は法律がまた変わって70歳からに引き下げたらしい。それにしては少人数だと捌ききれないのではないか。東京のある地区では3ヶ月待ちだという。そうなると2ヶ月前に講習を受けろというのだが、免許が切れて1ヵ月後になる。

私の第一回は、当日になって忘れたものですから1ヵ月後に再講習となって、その後が大変でした。正規の手続きはしているが、法律上は免許切れになっていますから免許の取り消しになると。ただし、新しい免許を差し上げますということであった。ずいぶんとおかしなことをするものですね。新しい免許をくれるぐらいなら前のをそのままくれて何が悪いのだろうかね。  

このときは、試験場で待たされて、2時半の受付終了と同時に6人ほどが私の周りに集まっておかしな世間話を始めた。約30分たったとき、ようやくその理由を聞かされた。再発行作業の時間稼ぎに機嫌をとってくれたのか、あるいは、この年寄りに精神異常を来たさせないために遠まわしにアイドリングを経て引導を渡したのか、今も合点がいかない。役所仕事の怪ですね。

講習は文字どおりの講習でして、合格とか不合格になることはない。ややっこしい機械での適性検査がありますが、私はあれに弱い。赤でブレーキを踏め、黄色でアクセルを放せ、青はアクセルをそのまま踏めというものですが、認知と実行がばらばらだったのだが、結果は、若い人よりは緩慢だが同じ年齢の中では優れていると、笑っちゃいました。 皆の結果も同じだ。   

私の提案で、3年後の1月17日にそろって講習の申し込みをすることになった。78歳同士で何人生きてるかをみたいと、皆さんも大賛成してくれた。全員が始めて出会ったのだが、皆同じ学年ですから久しぶりに故郷に集まった同窓会のような親近感が私にはあった。


04/02/18

春は着実に

最低気温6時3.7度 北北西乃至北の風平均風速5.17 快晴 最高11.3

1時に北西の風5m、以降3m.4m.4mの他は6〜7mの風が。この風で自生地参りを休む。強い北風ながら強い日射で寒さを感じさせない。そのせいか、昨日にはノウルシが葉を出した。最も端的に春の様子を見せてくれるのが富士山の積雪量。左は1月17日、中は2月18日。    

雪の量が半分以下になっています。写真は由比町ライブカメラからのものです。静岡側から見る富士山は表富士だそうです。ここは南向きですから雪解けが早い。一方、裏富士に当たる富士五湖側では真冬の装いです。右は2月18日13:50。富士五湖ライブカメラからです。

04/02/19

第2陣のサクラソウは元気です

最低気温6時-0.4度 10時自生地地表11度  快晴 微風   最高14.3

今日は−0.4度〜−0.8度に推移した。9時は3.7度、10時では一挙に3度も上昇した。  風はほとんどなく、3月半ばの陽気。ノビルの開葉もだいぶ増え、ノウルシも勢いが益々です。

例年1番に開花するブロックがあって、昨日までは発芽していなく今日はどうかと目をこらしたらなんと発芽していました。なんてこった、毎日見ていながら見落とすとは。そこで、白斑点病?ブロックを丹念に調べたが、発芽なし、また裏をかかれるのかな? 

写真は第2陣のブロック 1週間前に発芽しているがブロックの1/3に広がった
 

04/02/23

サクラソウが一斉に

最低気温6時9.8度 11時自生地地表17度(14度)  快晴 北西の風8m

商業撮影もあって4日ぶりで自生地へ。驚きましたね、たった3日離れただけで視認できる範囲で1割がたサクラソウがニョキニョキです。しかも、1cm〜2cmに成長していた。昨夜21時からの嵐でほぼ2ヶ月ぶり、6ミリほどの降雨があって自生地はしっとりしています。    

太陽光線が強いせいか北西の風がときには14、5mにもなるのに心地よい。今度の寒気団の勢力は弱そうですのでこのままで行きますと、昨夜の空の給水車のおかげで活力を造成して1週間以内ですべてが発芽し、開花は3月20日頃でしょうか。
                                  

2/8の発芽は3cmに 第2陣ブロックは3分の2に
深いのは15cmほど地中に直径2センチ前後の根がコロニーを作るノウルシはコロニー内に他を寄せ付けない頑強ぶりです。柵近辺をなんとか除去できればサクラソウの絨毯なのに・・

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